喜びカタツムリの便り16号

喜びカタツムリの便り16号

発行者 日本センド派遣会総主事 宮村武夫
〒272 -0034 千葉県市川市市川3 -37 -11A
メ−ル・アドレス:miyamura@send.jp
携帯番号:090 -3323 -2206
電話・ファックス 047 -374 -3225
ブログ・アドレス:http://d.hatena.ne.jp/kimiyom/
振替口座番号 00240‐0‐82660
NO.0016 2012年11月24日(土)

ゴルゴダ
担われ進む カタツムリ
イザヤ書46 章3、4 節
「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいる時からになわれて おり、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う 。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。」

ゴルゴダ
担いて歩む カタツムリ
マタイ11 章28、30 節
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人 は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って 、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです。」

[Ⅰ]序 
 10月の末から11月末へのこの1箇月、紅葉の美しさに実際の現場や映像を通して触れることができ、恵みでした。紅葉狩りの楽しみ、25年過ごした沖縄では、残念ながら味わえません。
紅葉に心惹かれるのには、もう一つの特別な理由があります。
 1963年8月から1967年9月まで、留学のため滞在したニューイングランドの思い出です。4回経験したニューイングランドの秋,その紅葉の雄大な景観、特に人影のほとんどない大小の湖面に映し出される紅葉。そうです。私の記憶・心にまで焼きつけられました。25年間の年月を越えて、紅葉に接する秋の日々を喜んでいます。
この期間、ブログに加えて、今までろくろく名前も知らなかったfacebookも活用するようになりました。以前からのEメールに加えて、こうした便利な連絡の方法を用いることが出来るようになっています。73歳になっていることをすっかり忘れて。

しかし依然として従来の手紙に重要な役割をあります。同様に手間隙をかけて印刷される書籍の独特の役割があります。
私の経験でも、難儀して刊行された著作集の役割を改めて教えられています。
8月に刊行された、『礼拝に生きる民 説教 申命記』に対する、以下三人に方々からの連絡を紹介いたします。

[2] 『礼拝に生きる民 説教 申命記』への三つの応答
(1)中学英語教師M兄からのメ−ル
 一番目。過って青梅キリスト教会青年会の一員で、郷里長崎県佐世保で中学英語教師M兄からのものです。彼からは、時に応じて教育現場での思索を中心に心のこもった手紙やメールを受けとり、さらに携帯での会話と祈りを続けてきました。

「宮村武夫先生へ。
・・著作集「申命記」、読ませていただいています。順序良く1ページずつ読む他に、ある同じ個所を何度も繰り返し読んだり、考えながら読んだり、私にとりましては宮村先生が書かれた書物はD.Elton Truebloodのことばを借りれば、it is not the sort of book that can be dashed off quickly or cheaply(from Foreward of The Celebration of
Discipline ), 宮村先生からことばは、そのような注意深さと慎重さを持って読まれ、聞かれるべきものという意識があります。聖書とともに著作集「申命記」を読みつつ、それはshould be ruminated「反 芻されるべき」ことばとして味わわせていただいています。
昨夜は、夜、声に出して音読していました。妻月音は洗濯しながら聞いていました。実は、宮村先生より著作集「申命記」が届く数日前に、TSUTAYAに、私は同じ本を注文しておりました。その本は、相浦光キリスト教会の教会図書に献本させていただくことになりました・・・、日本の西の端、この佐世保の地よりお祈り申し上げます。2012年11月9日(金)MF」
そうです。一人の真摯な中学英語教師を通して,いったい幾人の中学生が生涯に及ぶ祝福を受けるでしょうか、感謝。
 一人のため、どのような注ぎも無駄ではない、過分ではない。
 一人からどのような展開も驚きではない。
 一人へ、そして一人から、感謝。

次に、紹介するのは、小さないのちを守る会代表辻岡健象先生からのものです。
M兄からの便りが機能美に徹するメール便であるのに対して、辻岡先生から頂いたものは、,文字どおり達筆な和紙に筆で認められた独特がおもむきのある便りです。
 辻岡先生が、1984年に、小さないのちを守る会の働きを開始なさったとき、私どもの家庭では、里子の太郎をすでに迎えていました。それで辻岡先生とは、同じ船に身を託す思いで、当時会話を交わしたものです。
 さらに末弟三郎家族が、小さないのちを守る会を通して、何と当時毎日私たちが首里福音教会から向こうの丘に眺めている病院から赤ちゃんを迎えたのです。
 病院で持たれた式で、辻岡先生の手から、親族を代表して私が赤ちゃんを受け取ったのです。このような主にある交わりを、一冊の書がさらに深め、今後のさらなる展開へと導いてくれています。
「主の平和 
存在の喜びをあなたに 宮村武夫著作2 『礼拝に生きる民説教 申命記』をお送り下さいまして感謝と共に感動で心が一杯になっています。本当にすばらしいご著書をいただきましてなんと幸いなことかという思いで一杯です。
一頁一頁感謝しつつ拝読味読させていただきます。
説教の中に、聖書に啓示されている神のすばらしさとみことばを語られる宮村先生の御霊に満たされているご人格そのものにも迫られます。
神の器宮村先生を強く感じ、これぞ説教主のことばを語られる器と実感させていただいています。本当にありがとうございました。
私も沖縄が大好きですので、ご著書を手にしたときから首里教会の一員とさせていただいているという錯覚さえいたします。
・・・
主の御手の中で良きご奉仕を、カタツムリのように主の十字架を背負って歩みを続行しつづけて下さい。先生が訪れて奉仕される教会の幸いも身近に感じます。幸せを共有している思いです。
・・・
辻岡健象・敏子

宮村武夫先生・君代様」

 三番目は、著作集の編集長永田竹司先生のメ−ルを通して伝えられました。
まず最初に、
「二日前の土曜日、千葉の東京基督教大学で、日本基督教学校同盟の全国代表者会議が開催され、わたしは理事と一緒にICU代表で出席しました。そこ で、TCUの廣瀬薫理事長ともお会いし、挨拶程度ですが、言葉を交わすことができました。
 賛同人代表になっていただいたことのお礼も申し上げることができました。」と、永田先生に紹介したいと願っていた廣瀬薫先生と直接お会いになったとの嬉しい報告でした。
 続いて、11月3日、4日に参加した無教会全国集会・沖縄での出会いの波紋を伝えて下さったのです。励ましに満ちた伝言です。
「それから、山形の独立学園の助川先生から声をかけられ、お話をしましたが、その中の一つに、沖縄で宮村先生のお話を聞き、年齢を重ねて生きることの楽しさという発言に大変励まされたこと、それから宮村先生の御本を読んで、非常にわかりやすく感銘したことを話してくださいました。・・・非常にわかりやすく新鮮で感銘深く読ませていただいたということでした。
 ぜひお伝えしておこうと思っていたところです。」と。
 山形の独立学園の卒業生の幾人かをTCCで私が教えたこともあって、助川先生ご夫妻との話が弾んだのです。しかし編集長の永田先生を経由し励ましのことばを聞けたのは格別な恵みでした。
 
★祈りの課題
①宮村武夫著作集既刊4冊感謝。
今回の『礼拝に生きる民 説教 申命記』に続き、次回の『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ ドストエフスキーの神学的一考察』の速やかな刊行のため。
②ブログ・「喜びカタツムリの歩み」http://d.hatena.ne.jp/kimiyom/をどうぞ。
またFacebookの活用のため。
③困難な現状の中、沖縄の星の子キリスト福音教会の土地会堂購入のため。

[3]『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ ドストエフスキーの神学的一考察』の刊行を目差して

 次回刊行予定の宮村武夫著作6『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ ドストエフスキーの神学的一考察』は、元々、私の1962年日本クリスチャン・カッレジの卒業論文です。
 しかし他の巻同様、単なるモノロ−グ・独語ではなく、ダイヤロ−グ・対話です。
 心から敬愛するお二人の方が、50年前の小さな卒論をめぐり心を込めて論じて下さっているのです。
 新井明先生の巻頭言・「ひとつ体の中で」は、1978年4月、恩師渡邊幸平先生を引き継ぐ形で、日本女子大学英文科で講義『聖書』を担当するようになった経緯の背景から始まって、日本女子大での8年間ばかりでなく、1986年4月私どもが沖縄に移住してからも深まり広まり続けた交わりに言及して下さっています。
 そのような流れの中で、ドストエフスキーの『悪霊』に直接触れ、「・・・作品の終りちかくで、スタヴローギンはチーホン僧正に尋ねる―、『あなた様はもちろんキリストを信じなさるのでしょうね?』この質問に対する直接の答えは吐けず、チーホンはただ上を仰いで、『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ』と告白する。この静かなる信仰告白は―これこそ本『著作6』そのものタイトルなのであるが——「虚無なるもの」即「悪霊」が跋扈するこの闇夜に、ドストエフスキーが、いや宮村武夫が掲げることのできた一灯の光であったにちがいない。」と温かく鋭く指摘して下っています。
さらに心に沁みることばで巻頭言は結ばれています。
「われわれは少年時代に共に東京・江戸川区小岩で育っています。(新井は西小岩国民学校の出身です。)また青年期にキリスト教に接し、わたしは父母の宗教・日蓮宗を捨てました。われわれは
二人ともニューイングランドで学生生活を送り、長じては日本女子大学で共に教鞭をとり、わたしも末子を三重県愛農学園に送り込みました。沖縄では「連帯」の歩みが許されました。これからも「忍耐」と「希望」をもって、「ひとつ体の中で」生きてゆこうではありませんか。
寅さんスタイルの宮村先生を思いつつ、擱筆いたします。(聖学院大学大学院・特任教授)    
二〇一〇年五月」。
 
 巻末エッセイは、大和昌平(東京基督教大学教授)による、「宮村先生とドストエフスキ−」で、1から4まで展開されています。

1宮村先生の「聖書解釈学」講義ノート
東京基督神学校で受けた宮村武夫先生の講義ノート「聖書解釈学」(1982年)を書棚から取り出し、開いてみた。・・・
二〇代の私が万年筆で書いた「聖書解釈学」のノートは紙が黄ばんできている。今それを読み返し、改めて心に残る宮村先生のことばを記しておきたい。」と書き出されています。この大和神学生のノートには、私も忘れがたい思い出があります。
教室で、ふと目にした彼のノートが余りに整然と書かれているので、完全原稿で授業をしてなかった私は、そのノートをコピーさせてもらって、次の年から活用したのです。

2.ドストエフスキーを介しての宮村先生との再会

3.『悪霊』に於ける人神論と神人論
「・・・私はこの論文を読みながら、ニヒリズムというものが自分自身をごまかさず、歴史的現実に向かい合う時に必然的に経験せざるを得ないものであると確認させられた。四半世紀の間、牧師として一つの教会で神と人に仕えさせていただき、精一杯尽くしてきたのだけれども、まさに矛盾を孕んだ現実に打ちのめされ、しだいに虚無的な思いが自分の心の中に沈殿してきたことを否定することができない。宮村論文は私をその不可避の問題に正面から向かい合わせてくれた。そして、むしろそのニヒリズムに陥ったところから神学は始まるのではないかと励まされた。また、その問いをもってドストエフスキーを時間をかけて読んでいこうとも思わされたのである。
ドストエフスキーは現実の苦難にもかかわらず、神の存在を認め得るか、神への信仰が可能であるかとの主題を生涯かけて、その作品に於いて追求したのである。神の存在との関連においてこそ、苦難の問題は真の意味で問題とされたと云える。…逆説的ではあるが、彼は神の善意を全く信頼した故に最深部まで人間の矛盾を追及出来たと云えるのではなかろうか。』(宮村)」

4「主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ」
「・・・スタヴローギンの虚無主義ドストエフスキーロシア正教のチーホン僧正を対決させる。『悪霊』のクライマックスである。スタヴローギンはチーホンの前で神への信仰を巧みに装うことで、チーホンと神をこれ以上ないやり方で侮辱しようとする。スタヴローギンにからかわれながら、チーホンが囁くようにつぶやくのが、『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ』という信仰告白であった。
宮村青年はそのチーホン僧正の言葉を、論文の題名としている。神を信じるようでいて、己をこそ神とする時代思潮の中で、どのようになじられようともキリストの十字架を恥じることはすまい。人となられた神を見上げて生きたい。その告白こそが、人を神のように錯覚させて自滅させる「悪霊」に対抗するものである。そんな宣言が重層的に聞こえてくるようであった。
この論文は正に実践神学を踏まえた神学論文であり、神なしとするこの時代に神を仰いで生きることの難しさと決定的な意義を語っている。ドストエフスキーを読み込み、若き日にそう熱く語った宮村青年のその後の人生は、ある意味で苦難と歩みを共にするものであられたと思う。しかし、齢を重ねられ『喜びカタツムリ』を自称される楽しげな宮村先生の内に脈打っているのは、『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ』との生涯を貫く信仰告白なのである。」

 私にとって人生の同伴者として大切なお二人が、対話に加わって下さったように、この小書が速やかに刊行され用いられ、「洞窟の中で神学を語るのでなく、世の真っただ中で毅然として共に立ち、傷だらけになりつつも、天に迎えて頂けるその日まで」(湊晶子先生)の対話の神学に加われる方々の波紋の広がるよう、そのためにお祈り頂ければ、嬉しいです。

[4]2012 年12月からの2012年度後半、喜びカタツムリの宣教計画
★自分の年齢や健康の制約を考慮すると、何時最後を迎えてもおかしくない実情です。ですから残り少ない宣教の機会に、出来るだけの備えをなしつつ臨むべきと改めて心定めています。
具体的には、まず2013年4月から2014年3月までの2013年度の歩み全体の大きな流れ・柱を悟る導きを求めたく願っています。来年度の私どもの小さな歩みの中で、何かお役に立つ可能性があれば嬉しいです。

①12月
12 月2 日(日) 日本長老教会東吾野キリスト教主日礼拝宣教担当
12 月9 日(日) 日本福音キリスト教会連合 大月福音キリスト教会設立20周年記念礼
拝宣教担当
12 月16 日(日) 日本基督教団練馬二丁目伝道所教会主日礼拝宣教担当
12 月22 日(土) 午後2 時 市川うちな−んちゅの部屋祈祷会
12 月23 日(日) 聖望キリスト教主日礼拝宣教
        ヨハネ3章16節
12 月30 日(日) 日本同盟教団新船橋キリスト教会礼拝出席

②1 月
1 月6 日(日)聖望キリスト教主日礼拝出席
1 月13 日(日)高津キリスト教主日礼拝宣教担当
1 月17 日(木)東京キリスト教学園卒業生交流委員会拙宅・市川うちな−んちゅの部屋祈祷会
1月19日(土)宇都宮キリスト教一致共同祈り会参加
1 月20 日(日)宇都宮キリスト集会主日礼拝宣教担当
1 月26 日(土)午後2 時 市川うちな−んちゅの部屋祈祷会
1 月27 日(日)聖望キリスト教主日礼拝宣教担当、午後聖書味読・身読会

③2 月
☆1月29日(火)−2月21日(木)沖縄訪問・宣教
1 月31 日(木)日本福音キリスト教会連合 石川福音教会修養会
2 月3 日(日)沖縄バプテスト教会連合 安慶名バプテスト教会宣教担当
       日本福音キリスト教会連合 石川福音教会修養会
2 月10 日(日)沖縄バプテスト教会連合 ジョイチャペル主日礼拝宣教担当
2 月14日(木)日本福音キリスト教会連合 石川福音教会修養会
2 月17 日(日)名護チャペル主日礼拝交渉中
2 月23 日(土)午後2 時 市川うちな−んちゅの部屋祈祷会
2 月24 日(日)聖望キリスト教主日礼拝宣教担当、午後聖書味読・身読会宣教担当

④3 月
3 月3 日(日)未定
3 月10 日(日)未定
3 月17 日(日)未定
3 月23 日(土)午後2 時 市川うちな−んちゅの部屋祈祷会
3 月24 日(日)聖望キリスト教主日礼拝宣教担当、午後聖書味読・身読会宣教担当
3 月31 日(日)未定

宮村武夫
1939年東京深川生まれ
高校生時代 キリスト信仰へ導かれる
現在 日本センド派遣会総主事、聖望キリスト教会宣教牧師、宇都宮キリスト集会牧師、
名護チャペル協力宣教師