高ぶり『礼拝の生活』再考その108

1972年11月26日発行
『礼拝の生活』108号
 
(巻頭言)「ハリキッテいます!」 

 11月19日(日)午後五時過ぎ、シメオン・アンナの会の集会が持たれました。
昨年は、春の修養会だけでしたが、今年は、春に続いて秋にも集まりを持つことができたわけです。
 
今回の集まりの特徴は、特別な場所に出かけなかったことです。
夕方5時頃に広瀬さん宅に集まり、自由な話し合いの時を持ちながら、広瀬さん、沢藤さんが用意してくださった夕食をいただきました。
参加した人々は、広瀬さん、沢藤さんの外に、小沢のおばあちゃん、横田さん、そして新井さん、浜野さんと宮村の7名でした。
 
正式な集会が7時から始まる前に、自由なそして真剣な話し合いがなされました。話題の中心は、高ぶりについてでした。
天地の造り主・唯一の生ける、真の神が私について知っている以上に、私は自分のことを知っているという思いこそ、聖書の示す信仰にとって最大の障害となっているのではないかとの指摘をめぐる話し合いです

 集会では、次から次へと讃美を歌い続けました。特に、12月24日の家庭礼拝でシメオン・アンナの会が讃美する予定の賛美歌404、527番を力強く歌ったのです。
そして申命記33章と詩篇90篇を味わいました。
モーセイスラエル人の民に向かって残した祝福の言葉を通して、老いてますます盛んな神の民の歩みについて考えました。続いて祈りのときを持ちました。

このように夕方からの集まりなら、年に二度だけでなく、もっとしばしば持ちたいと、一同、積極的に考えています。積極的に考えています。伝道会に導かれた小林さんが出席できず、今回もアンナばかりだったのが、唯一の心残り。

1970年代、青梅で、65歳を越える方々を中心とする集い、シメオン・アンナの会(ルカ2章21−39節)の交わりをそれなりに大切に、大切に歩んできました。私自身、交わりをとして深い学びを与えられました。

 今、2012年73歳として喜びの営みのため、あの日々に備えがなされていたのです、感謝。