宣教活動の日常化・日常的宣教活動『礼拝の生活』再考その105

1972年11月5日
『礼拝の生活』105号

(巻頭言)「特別集会を終えて」 
 10月27日(金)−29日(日)の特別集会は、主なる神の祝福の中に終わりました。
今主の恵みを数えつつ、今後の歩みの備えをしたいのです。
 
 まず三日間、舟喜信先生を通して福音が明確に宣言された事実を感謝します。
神のみことばが明らかにされるのでなければ、誰も信仰をもって生ける神に呼びかけることはできません(ローマ10章9−14節)。
 
また宣教された福音を聞く人々が集められたことを感謝します。
教会員、求道中の方々、初めての人々と数はそれほど多いとは言えませんが、人々が集められ、福音を聞くことができました。そして求道中の浜野姉をはじめ、信仰の決心をなすことができた人、求道の意志を持つことができた人などが起されたことを心から感謝しないわけにはいきません。大きな恵みです。
 
特別集会のために、幾つかの準備がなされてきました。家庭映画伝道会、集会案内の配布など。そして特別集会を終えた今、私たちの継続的な個人的な語りかけこそ、最も大切なものであると再確認させられました。
 私たちは自己満足したり、諦めたりすることなく、また特別な機会だけに限らず、宣教活動を続ける必要があります。

 宣教活動の日常化・日常的宣教活動、これこそ、私たち青梅キリスト教会が真剣に取り組まねばならない課題の一つであるのは明らかです。
教会に与えられている宣教の使命は、確かに教会の使命のすべてではありません。
しかし特別集会を終えた今こそ、宣教活動の日常化・日常的宣教活動に備えたいのです。

本日、廣瀬薫先生から、共同研究『日本ではなぜ福音宣教が実をむすばなかったか』を恵送頂き、感謝しています。

 戦前を含めて、それでも日本においても福音宣教は実を結んでいる側面を砂金採集のように大切にしたいと考えていますので、とても挑戦的です。
 
廣瀬先生の補足的な小論文の3項目を目を通して共鳴を覚え、またお会いできる機会を期待しています。
1「神の国」を現す
2「人を活かす」ことを目差す
3「日本」を活かす福音を

そして、
結 聖書的「キリスト教世界観」に立つ教会の刷新を。