持ち味が豊かに『礼拝の生活』再考その102

1972年10月8日
『礼拝の生活』102号

(巻頭言)「家庭映画伝道について」
 
 

 10月27日(金)から29日(日)までの特別集会を前に、家庭映画会が予定し準備を進めています。田住師と大倉兄が中心になって奥多摩から小作までの各家庭で、ム−ディ科学映画「科学と信仰」シリ−ズを上映します。それぞれの場所で、映画を通してのメッセ−ジを中心に、自由なあかしの集まりをもてるように期待します。家庭や近所の人々に福音を伝える手掛かりとなり、また特別集会についての具体的な案内とも成るように計画しているわけです。
 
 青梅市の人口分布を考えるならば、私たちは東青梅6の11の4に人々が集まってくるのを待つだけでは、どうにもなりません。
この小さな試みが、教会の歩みの現段階で大いに用いられるように祈ります。
 
 今回の家庭映画伝道会の目的を整理すれば、以下のような点になります。
①各クリスチャン・ホ−ムが宣教活動を積極的に進めることによって、子弟たちにキリスト者の自覚と喜びを実践的に教える。
②近所の方々に対して、キリストの旗を高くあげる。
青梅市全体をいつも視野にいれて宣教活動を考える。
つまり、宣教活動のために集められるばかりでなく、散らされてそれぞれの家庭を主のみ業のなされる場所として用いられるように祈る。
 
 確かに、私たちにとって新しい試みです。
福音を伝えるために、原理的に正しい方法は自由に用いたいものです。
10月15日の夕拝でまず映画をよく見、理解してそれぞれの家庭に人々を迎えましょう。
心に覚える方々の名前をあげて祈りつつ。

田住師と大倉兄、二人の持ち味が、あの時とても豊かにも用いられました。
田住宣教師は、カナダからの日系宣教師で、山梨や埼玉の開拓伝道・教会形成に従事されました。しかし中心的な働きは奥多摩のキャンプ場で、青梅キリスト教会で牧会する私たち・青梅キリスト教会とキャンプ場を結び付けてくれました。

 引退してカナダに帰られてからも、交流は続きました。
先生ご夫妻が最後に日本を訪問され、沖縄までいらした時と、私たちが沖縄からボストンとトロントを中心に旅たったのが重なりました。
長年祈り支えて下さっている方々に、首里福音教会を離れ日本センド派遣会の働きをなすようになった経過を報告ともなった旅でした。
それで私たちの留守の小さなアパートを、田住宣教師ご夫妻の沖縄訪問の期間、使って頂いたのです。主にある互いの信頼の確認の機会となりました。 

 大倉ご夫妻は、1970年4月12日、結婚なさいました。
同年4月1日、埼玉の寄居から東京の青梅に移った私にとって、青梅で最初の結婚式司式。しかも私たちと同じ結婚記念日に。

 ご夫妻の長女は、誕生直後に主の下に召されました。私にとって最初の幼児の葬儀の司式の経験。
 ご夫妻の長男ご夫妻は奥多摩のキャンプ場を中心に、次女と三女は、ヴァヨリンそうしゃとして主を証ししています。主の御名を崇めます。

 ム−ディ科学映画「科学と信仰」シリ−ズ。
 あの1972年からさらに15年前に、忘れ難い思い出があります。
1957年開成高校卒の吉枝兄、早くに召された古川君、そして私の三人の高校生が、なかなか高校生へ証が進展しない中で、中学生の集いを計画したのです。
 その際に、ム−ディ科学映画「科学と信仰」シリ−ズを上映したのです。
拙い集会で導かれた中学2年生たちの間に、後の日本福音キリスト教会連合の吉田鋼志牧師と牧野直之牧師が。感謝。