★Ⅰコリント15章とロ−マ8章『礼拝の生活』再考その82

1972年4月2日
『礼拝の生活』再考その82号

(巻頭言)「復活のメッセージ」

 青梅キリスト教会では、復活祭の早天礼拝を永山公園で守る習慣があります。
それは、とても意味のあるよい習慣です。
昨年の早天礼拝では、マタイの福音書28章16−20節を味わいました。
青梅市を見おろす永山公園で、朝早く共に賛美し聖書を読んでいると、あの弟子たちに対する復活の主のことばが、私たちに直接語りかけられてくる思いがしました
「私は天においても、地においても、いっさいの権威を与えられています」と、宣言なさる復活の主は、弟子たちに向かって「それゆえ、あなたがたはいって、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じておられます。キリストの弟子を通して新しいキリストの弟子が呼び出されるのです。

 弟子の道への歩みとして「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」と、神の所有であるとの告白とその告白にふさわしい生活をするために聞き従うべきことが示されています。そして、「見よ、わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」との約束が与えられています。

 今年の早天礼拝では、Ⅰコリント15章12−28節を通して、キリストにある確かな希望の根拠として復活について味わいます。この点がはっきりしなければ、「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者」(Ⅰコリント15章19節)となってしまいます。
復活のメッセージに耳と心を傾けて、確かな希望の基盤にふれたいものです。

★Ⅰコリント15章とロ−マ8章が、1970年から16年間、青梅キリスト教会の歩みの中で心に刻みつけられた恵みを心より感謝します。
時に応じて、Geerhardus Vos,The Pauline Eschatology (Barker Reprinted 1979)を参照し、示唆を与えられたいと意識しました。