『主は、・・・ヨナは、・・・』(1)

2012年6月24日
聖望キリスト教会 主日礼拝

ヨナ書1章17−2章10節(1) 
『主は、・・・ヨナは、・・・』(1)

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。

[1]序
(1)ヨナ書1章17節から2章10節を6月と7月2回に分けて味わいます。
 今朝は、1章17節から2章7節の箇所を中心に、7月には短い箇所です、2章8−10節に焦点を合わせていきます。

(2)1章と同じように、二つの視点から、この箇所の言い分に聴従。
 ①「主は・・・」
 1章17節前半、「主】は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。」

 ②「ヨナは・・・」
 1章17節後半、2章1節、「ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、【主】に祈って」。ヨナ、魚の中からの主なる神への祈り。

(3)現在私たちが読むヨナ書の形式・内容に、何時記録されたのか。
イ.ヨナが魚の中にいる時に、実況放送のように書いたのか。
ロ.4章までの出来事が生じた直後、比較的に月日の経過していない時点で描いたのか。
ハ.服部嘉明き、『ニネベか?タルシシュか?』(暁書房)、40頁
「ヨナが晩年になって、かって若き日に経験させられ、神様に取り扱われたことを回顧して、自分がどのような祈りの思いを抱いていたのかを、詩文形式でのべています。」

[2]「主は・・・」
(1)1章17節前半、「「主】は大きな魚を備えて」
神の恵みが、つねに先手。
「はじめに神」

(2)1章9節がいかに大切か再確認。
「私は海と陸を造られた天の神、【主】を恐れています。」

(3)使徒信条のはじめ
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」

[3]「しかし、私の神、主よ」(2章6節後半)
「ヨナは・・・」
 1章17節後半、2章1節、「ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
「ヨナは魚の腹の中から、彼の神、【主】に祈って」。

(1)2章2節、祈りの先取り
 主に対する信頼、詩篇23篇。

(2)2章2節−6節前半、祈りの現場
 どんな厳しい現実も、祈るために厳しすぎる現実はない。
1章15節、「彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。」→2章3節「あなたは私を海の真ん中の深みに、投げ込まれました。」

(3)2章6節後半、7節、祈りの中心
5、6節 しかし 6節後半、7節

[4]集中と展開
(1)集中 
 祈りにおいても、いや祈りにおいてこそ、「はじめに神」。

(2)展開
(1)「魚を備え」たもう神は、同時に、「とうごまを備え」(4章6節)、「一匹の虫を備え」(4章7節)、さらに「東風を備え」られたのです。
 「備える」神は、ヨナのために手間を時間をかけることを厭わない神様なのです。
このヨナの神が、私の神であり、私たちの神なのです。
この恵みの事実を、摂理の恵み、摂理の神、神の摂理と呼びます。
吉枝君との高校3年以来の交わりの中では、「たまたま」、それが摂理だと受け止めあっています。

(2)ヨナ書をじっくり味読・身読して行く中で、摂理の恵みと祈りの深い関係をしっかり身に刻みつけて行けますように。
神の摂理を深く信ずる、静かな確信に満たされた祈り。