著作集刊行の心痛

2009年1月、「サプライズ」と言って、私が書いた説教など編集したものをY兄から手渡され、これを種に爆笑、爆笑のS宅での食卓。
 ですからはじめ著作集の話が出たときは、
「わらっちゃうよ」が、第一の反応。

第二は、敬愛するN先生が編集長を引き受けてくださるならと、
私が言い出した、およそ常識はずれな条件。
 ところがところが、N先生は、重要であり激務を伴う地位・立場にありまがら、
「まさに予定外の任務であるが、この強いられた恩寵は光栄・感謝以外のなにものでもない」と、担ってくださることになったのです。

 2009年6月、「宮村武夫著作刊行委員会趣意書」が配布、多くの方々の好意的な応答と支援を受け、2009年11月、一冊目として第1巻『愛の業としての説教』が刊行されたのです。またその後の刊行予告を伝えられていました。

 すべてが順調に運んで見え、翌年1月の出版記念会に備えている中で、挫折。
12月18日、私が脳梗塞を発症、3箇月入院することになってしまったのです。
しかしそこから・底から導かれ、2010年9月には、二冊目・第5巻『神から人へ・人から』、
2011年4月、三冊目・第7巻『存在の喜び』が刊行されました。

 この刊行の経過の中で、しばしば私の念頭に浮かんだのは、趣意書に応答して、寝たきりの高橋三郎先生が編集委員会に書き送ってくださった鋭い問題点指摘の文章です。
 長い高橋先生のご指導・文通の最後は、『愛の業としての説教』との著名は、とてもすばらしいと記された、勿論代筆の葉書でした。
 
 もう一つ絶えざる心痛があります。
刊行予定の延長です。今も直面しつつあります。
 刊行予定日が延期されるのは、講壇で「説教は今日は準備できていませんから、来週まで延期」と言うほどの心痛です。ど素人の私にとっては。

万代恒雄先生は、期日のある仕事を死にもの狂いで守りながら、
表面では平然としておられました。
「弟子は師に勝らず」、です。
このブログには刊行予定日も、刊行予定日延期もありません。心痛への妙薬?