「インマヌエル」(神は私たちと共に)、 ニ題

★1970年12月20日の集会では、以下の「インマヌエル」(神は私たちと共に)について宣教をいたしました。

 青梅での16年と沖縄の25年の日々の歩みの後、2011年7月25日、「Aご家族とともに」―我らとともなる被爆者キリスト―の題で、宣教いたしました。
「インマヌエル」(神は私たちと共に)、ニ題です。
年月を越えての一貫性と年月を通してのそれなりの進展性を確認できればうれしいのですが。
 いかがでしょうか。

1970年12月20日
『礼拝の生活』第26号

「インマヌエルを生きる」

 寒さと忙しさが増し加わる日々の中で、今年もクリスマスの季節がやってきました。ところがこのクリスマスは現代商業主義により利用され、宣伝される単なる年中行事に成りさがってしまった感があります。

 この現実の中で、聖書自身が宣言しているイエス・キリストの誕生の事実が、1970年青梅に住む私たちの生き方に、どのような決定的な意味を持つかに心を集中することは、寒さが厳しければ厳しい程、私たちが忙しければ忙しい程、必要なことです。

 新約聖書を開くと、最初に出てくるのがマタイによる福音書です。そのマタイによる福音書1章18節から25節までを、まず注意し味わいたいのです。ここでは、イエスは、「おのれの民をその罪から救ってくださる方」として語られています。またイエスの誕生の意味については「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む、その名はインマヌエルと呼ばれる」(訳すると、神は私たちと共におられる。と言う意味である。)と記しています。つまりイエスの誕生の出来事すべては、神は私たちと共におられるーインマヌエル―との驚きと喜びの出来事なのだと宣言しているのです。

 「神は私たちと共におられる」と宣言するる時、聖書の神は、哲学者の神ではありません。生ける神です。偶像ではありません。生ける神です。
使徒パウロは、
「なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」(Ⅰコリント8:5、6)と主張しています。
パウロの主張に見るように「まことの」、「唯一の」、「父なる」などと共に、「生ける」という言葉は、聖書の神の御性格を明示する大切な鍵の言葉です。聖書は、はっきりと宣言します。生ける神こそ、本来的に人の生命の基盤なのだと。
「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きる」(申命記8:3)存在なのです。

 人は、生ける神に向けて創造されているのです。私たちは、意識すると・しないとにかかわらず、生ける神を慕い求めているのです。ですから生ける神に立ち返える時、人は、人としての本来の姿に立ち帰えるわけです。
エスの誕生の事実は、生ける神が私たちと共にいてくださる事実の最も確かなしるしなのです。人が生ける神に立ち返る道、人が本来の姿に立ち返る道が、実に驚くべき方法で開かれたのです。人から神への求めではなく、神から人への救いの道として。

 では生ける神が私たちと共におられる・インマヌエルの宣言は、私たちにどのような可能性を開いてくれるのでしょうか。そうです、インマヌエルを生きるとき、どのような新しい道が備えられているのでしょうか。

 第一に、神を喜ぶ者としての生き方です。人は種々様々なことをしながら生きています。種々様々なことをしながら死んでいきます。しかし、人の{主なる}目的は何かと問うならば、私たちは、何と答えますか。
聖書に立つキリスト信仰は、大胆に答えます。「人の主なる目的は神の栄光を顕し、且永遠に神を喜ぶことである」(ウェストミンスター小教理問答第一)と。
神を喜ぶとは、私たちのあの面この面ではなく、全体として受け入れられている事実が、私たちの中に生み出す喜びです。この喜びに満たされた者は、食うにも、飲むにも、何事をなすにも、凡て神の栄光を顕わす(Ⅰコリント10:31)ことを自らの生き方とするのです。
生きることの一部分を宗教的な生き方として分離し、他の生活と違ったものとする。いわゆる宗教主義とは根本的に異なります。自分の存在全体が、生ける神によって受けられている。自分の生活全体で、生ける神を喜ぶ。日常生活全体がインマヌエル(神は私たちと共におられる)なのです。

 第二に、愛する者として人間本来の姿に目ざめる事実について見ます。
人間は、人と人の間、人と人の関係において文字通り人間なのです。他の人間と出会うことによって人間になると言われる程です。この点に関して、人間は男と女に創造された、自分とは異なる他の人に向けて創造されたと聖書は宣言しています。
ですから聖書に従えば、人は孤立した存在ではありません。孤立した人間、他者との関係から切離された人間は、現実の人間ではありません。単に頭の中で描かれた抽象的な人間にすぎません。このように見てくると、イエスキリストの出来事の意味は、インマヌエル・神はわたしたちと共におられるに他ならないとのの宣言がより身近に迫ってきます。イエス・キリストの出来事は、人をして本来の姿に立ち返えらせ、他者に向けて生き愛する勇気を与えてくれるものなのです。

 さらに、インマヌエルを生きるとは、人間が創造された目的に立ち返って、真の意味で働く者として生きることを意味します。
聖書は、人間の創造に関して、元々、エデンの園を耕し、守るものとしての使命を与えられていたと記しています。人間は本来働く者、広く文化活動をなす者として創造されたのです。この人間本来の目的と、罪の結果であるのろいとしての労働(創世紀3:17以下)を混同しないように注意する必要があります。
労働さらに広く文化活動は、単に罪の結果としてばかりでなく、人間創造の本来の目的として、はっきり位置づける必要があります。
 しかも同時に、労働が罪ののろいと密接に関係すると知る時、歴史的また社会的な条件の中に生きる私たちが、それぞれの時代の社会制度、社会体制に対して常に批判的に生きるべき責任を見るのです。
インマヌエルの恵みを生きるとは、新しく開かれた道に従って人間本来の姿に立ち返えることです。神を喜ぶ者、愛する者、働く者として現実の中で現実の自分を忘れることなく、自己満足と、投げやりから解放されて、生き続けるのです。
 寒さの厳しい中で、平凡なしかも忙しい日常生活の中で。


「Aご家族とともに」
――我らとともなる被爆者キリスト――

2011年7月25日
青梅キリスト教会講演会
〔1〕序
 脳梗塞発症後、ご覧のように私は歩くのがちょっと不便なのです。しかし飛ぶのは全然問題ありません。ポ−ンと飛ぶのです、話が。
レジメを皆さまお持ちでしょうか、ですからなるべくレジメに従い、お話しさせていただきます。

 「Aご家族とともに」、これはかなり個人的響きを持つ題です。
このような題で話をするのは、私には余り経験がないことです。
「Aご家族とともに」の題での集会は、元々は2010年1月18日(月)に開催すべく計画されていました。
ではなぜこの題を選んだのか。話は簡単です。私がここに持っていますA4で86ページの文章、これはAさんが青梅キリスト教会で洗礼を受ける際、自分の経験を書いた証です。
私は1962年に牧師になって以来それなりに年数が経過しましたので、かなりの方々の洗礼に関わってきました。私が関わったどの方の証に比べても、Aさんのものは間違いなく一番長い、他の人々のものよりはるかに長い。―もちろん長ければいいというものではありませんけれども―。
青梅キリスト教会の林先生がAさんの証を沖縄の私の所に送ってくださった時、私の第一印象は、詳しく書いたなと言うより、「思い切ってしつこく書いた証だな」でした。私は自分ではあっさりした性格と自覚しています。しかし妻君代に言わせるとしつこい、かなり、いやとてもしつこいのだそうです。確かに時々しつこいものがたまらなく好きになります。そこでAさんの証を黙って見過ごすことが出来ない。是非応答したいと反応したのです。
 Aさんが書いたものに、一体全体誰が応答するだろうか。第一これを読むのが大変。しかし長大な証を黙って見過せない。そんな自問を繰り返している時に、鮫島夫人から「月曜聖書の集い」で何か話すように連絡を受けたのです。そこで何はともあれ証に応答しようと心定めたのです。応答するとなれば、Aさん個人に対するだけでなく、重い障害を持ち勇敢に生きるご子息を中心にA家族に対する応答となるのです。A家族に対する応答であれば、「ともに」を抜きに考えられない。
 
今日のお話の中で、何か皆さんに一つでもメセージをお伝えすることが出来るとすれば、それは「ともに」をめぐる考察です。
「ともに」、そうです、聖書における事実の伝達は、「神は我らとともに」が中心です。聖書の神さまは「ともに」の神さまです。聖書の神さまは私たちを創造なさられたとき、「ともに生きる者として創られた」のです。私たち人間が互いに「ともに」生きる者となるために、「神さまご自身が私たちとともに生きてくださる」、これこそ私たち人間のあり方の源泉です。
 
皆さんはいかがですか。私は江戸系いろはカルタが好きです。たとえば、「犬も歩けば棒に当たる」。この言葉を、25年前青梅から沖縄へ移住したとき、特に強く考えさせられる経験をしました。あの1986年当時でも青梅では犬を離し飼いにしてはいませんでした。
ところが車社会の沖縄で車に乗っていると、犬が外を歩いている、一匹で。その姿を見過ごせなくて、何回も同じ質問を、同席の君代にしつこくしました。
「あの犬、何か目的あって何処かへ行くのだろうか、それともただ何となく歩いているのだろうか」。何回その話をしたことか。
ところが解答があったのです。沖縄の離島で飼われていたワンちゃんが、近くの別の離島に住むマリリンという名前のワンちゃんに会う目的で、短い距離にしても海を泳いで渡って行く。犬は目的を持って歩く。それから歩いている犬を見る目が断然変わりました。
 
その後25年間沖縄滞在中、「犬も歩けば棒に当たる」は、沖縄聖書神学校の学生たちとの対話の中で、新しい展開をしました。
「犬も歩けば棒に当たる、人間歩けば恵みに当たる」。
目的を目差して生き歩む人も、ただ歩漠然と生き歩んでいるに過ぎなく見える人も、犬が棒に当たるだけでなく、私たち人間も恵みに当たるのです(参照マタイ13章44,45節)。そういう意味で偶然はありえない、偶然は決してない。だから私たちは犬のように歩いているに過ぎない、存在させられて生きているに過ぎないけれども、驚くほどの棒に当たる、恵みの棒に当たり生かされる事実を心から確信します。
 
そうです。元々集会が予定されていた2010年1月18日が延期されてから、今日2011年7月25日までの期間、私は犬のように歩いていたのです。そして恵みに、神の恵みに当たったのです。そしてAご家族もまた棒に当たったのです。犬といったら失礼ですけど、生き歩んでいると恵みの棒に当たるのです。
「ともに生きる」とは、犬棒神学。私たちは歩いていればいい、生きていればいいのだ、かならず恵みに当たる。もう生きるのが楽しい。
 
平凡な者である私は、どのような棒に当たったのか。
2009年12月18日に―かなり大きな棒でした。―それ以前20年間躁鬱だった私は、今度は脳梗塞を発症したのです。初めは脳梗塞になったとは思わなかったのですが。
その日、私はいろいろなことで疲れ横になっておりました、
君代が帰宅したので、起き上がろうとしたところ、左足がガクン。私は一晩眠れば治ると威張っていたのです。ところが母親が脳梗塞だった経験を持つ君代はすかしたり、おどかしたり、とにかく一緒に病院に行こうと。
病院で検査すると、はたして脳梗塞発症。二人にとり、家族にとって、また私を取り巻く人々にとって、「先生、病気になって良かったね」と何人かの方々が本当に心から言ってくださる事態が生じる一歩です。
 私たちのビフォ−・アフタ−。ビフォ−は脳梗塞発症前、アフタ−は脳梗塞後。ビフォ−・アフタ−と言い合うほど私たちの生涯にとり意味を持つ発症でした。
 
どん底の状態の中で、からだをめぐる思索、医療従事者の方々との出会い、医療のあり方についての考察など貴重な経験をする第一歩を踏み出したのです。
大浜第一病院では、一日3時間のリハビリの連続。日々、楽しみながらリハビリを続ける中で、私のうちに一つのことが生じたのです。からだの奥から笑いが満ちてくるのです。箸がころんでも笑う年頃の娘のあり様で、「ウフフ、ウフフ」なのです。脳梗塞のため、どこか緩んでしまったのではないかと君代が案ずるほどに。
そのような情況の中で、詩篇126編、その1、2節を読んでいるとき、「これだ!」と心に受けとめたのです。
「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
『主は彼らのために大いなることをなされた。』
主は私たちのために大いなることをなされ、
私たちは喜んだ。」

リハビリの一つは、言語治療です。舌の動きに集中しながら発声訓練。「舌、舌」と生涯でこれ程「舌」を意識した日々はありません。「私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」(詩篇119篇2節)とは文字通りの私の実感でもありました。
誤解を恐れないで言えば、脳梗塞発症後のリハビリの経験は、小さな小さなスケールではあっても、バビロン捕囚からの解き放ちであり、今落ち着いた状態であっても、解き放ちの喜びをなお生活の基底に覚えるのです

本来でしたらこの集いは2010年1月18日にもう終っていたはずなのです。私の脳梗塞発症のため本日2011年7月25日になってしまったのです。
確かに「なぜ脳梗塞になるのか」とか「リハビリにはどんな意味があるのか」とかいろいろなことが言えます。
 確かに私は基本的にはしつこく、基本的には罪深くて、基本的にはああだこうだと考えるのですけれども、同時に不思議な喜び、これも事実です。
 そうです、私にとってリハビリはもう完成しているのです。リハビリの一番の目的はもうすでに私に与えられています。この喜び、脳梗塞発症とリハビリを通して存在の喜びは、単に言葉の問題ではなく、まさに根源的な事実です。2010年1月18日には、こんな確信を持って話せなかったに違いない。
 ですから、やはり一つの棒に当たった、恵みの棒に当たったのです。

[2]被爆者キリストへのささやかな応答 
それでは3月11日は。
3月11日の出来事は、ただ私個人にとって大きなことだけではなく、誤解を恐れずに言えば、日本全体の脳梗塞的な事柄、いやもっとはるかにそれ以上のことでした。

今、私が言えることは、福島県いわき市在住のSご夫妻とのメ−ルのやり取りについてです。Sご夫妻がメ−ルに書いてありましたそのままを読ませてもらいます。
「もっか原発被爆恐怖です。いわき市の多くの人たちは東京等に向けて脱出しました。牧師たちもある人たちは脱出しています。私は悩んでいます」と率直に伝えつつ遣わされた地に留まり続けています。二人とも30年以上前、神学校で授業を担当した牧師ご夫妻。私はそのメ−ルを受け取ったときに「クウォ・ヴァディス・ドミネ」と一言書いて返事しました。後で、ずいぶん冷たいなと思いましたけど。
「クウォ・ヴァディス・ドミネ」と言えば、私の世代の方だとすぐ思い出す、1951年のアメリカ映画、クォ・ヴァディス』(Quo Vadis)ヘリンク・シェンキェヴィチの同名小説『クォ・ヴァディス』を映画化したもの。それはロ−マで大変激しい迫害下のこと。指導者であるペテロだけは逃れて次の世代に向かい道を開くようにとの懇願にペテロも承知しローマを後にして街道を進む。と光のような復活の主の姿。「クウォ・ヴァディス・ドミネ」(主よ 何処へ)」とペテロが問うと、「ロ−マへ」の一声。
キリストに会い、ロ−マへ」との声を聞いた時、ペテロ自身もその顔をロ−マに向け迫害の地・殉教の地ローマへ戻り行く。

(Ⅰ)イメ−ジと聖句
その「クウォ・ヴァディス・ドミネ」の一言をSご夫妻に沖縄からメ−ルしたのです。それがどういう意味で、どういう風に受け取られたかはご想像におまかせいたします
 Sご夫妻とのメールのやり取りを続けているうちに、イザヤ書の二つの箇所を思い起こしました。これも「犬が歩けば棒に当たる」でしょうか。ふと聖書の言葉が思い起こされる。それが、一番いいときに最適の聖書箇所を主が思い起こさしてくださると時に応じて思い知るのです。

イザヤ63章9節
「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、
ご自身の使いが彼らを救った。
その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、
昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」

イザヤ53章3節
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。」
 
Sご夫妻とメ−ルのやり取りをしいる中で、私の心の中にこのイザヤ書の言葉が先に来たのか、「被爆者キリスト」のイメ−ジが先に与えられたのかちょっと判断しかねます。しかし、その二つは確かに切り離せないものなのです。
 
 「なぜ、こんなことが起こるのか」と答えの与えられない質問が出ます。「これはなぜか」と問いや疑問が湧き出ます。
そうした現実の中で、私の内面では疑問の余地がないのです、
「キリストご自身が東北の方々とともにいてくださる」、「ともなるキリスト」、インマヌエル(神われらとともに)なるお方。
 けれどもインマヌエルの方が、どのようにともにおられるのか。
被爆者としてともにおられる』、この思いが理屈を越えて、一つのイメ−ジとして私の内面に先に来たのです。そしてこのイメ−ジを支えるのが、上記のイザヤ書の聖句なのです。

(2)Ⅰペテロ2章18節以下
さらにこのイザヤ書のことばに重ねて、Ⅰペテロ2章18節以下が、「被爆者としてともにおられるキリスト」理解の道を開いてくれます。
 牧会書簡など聖書の他の箇所では、キリスト者の奴隷に向かい勧めをするとき、「キリストに対するように主人に仕えよ」と奴隷にかたります。「あなたのご主人に、あたかもキリストご自身に仕えるように、たとえ欠点だらけの主人であっても」。奴隷にとって、自分をある意味で動物のように売り買いさえする主人に「キリストであるかのように仕えていくように」と勧めるのです。
 ところがⅠペテロの手紙は違います。キリストご自身も奴隷として、奴隷の立場、そのむちゃくちゃな状態の中で生きた事実に立つのです。主人の側にキリストはいないのです。まさに奴隷の側にキリストがおり、キリストもあなたがたと同じく矛盾だらけの、本当にどうにも説明のつかない状況の中でも父なる神に従い生きてきた。あの奴隷の立場に立つリストの模範に従う。

Ⅰペテロの手紙2章21−23節 
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」

Ⅰペテロ2章18節以下は、本当に大切な、意味深い箇所です。
キリストご自身は、この現実のいろいろな苦しみのはるか上にいて、すべてを司るお方、それはもちろんそうです。
しかしキリストは真の神であるばかりではなく、真の人として人間の側、人間の悲惨のただ中に、「被爆者キリスト」として存在しておられる、この事実の意味をよく考え続けなくてはいけない、私なりに。

(3)時代を超えてともに
1986年4月以来25年間に沖縄で出会った方々に祈り支えられて、2011年5月24日千葉県市川市へ移住しました。1945年3月10日東京大空襲、さらに1923年9月1日関東大震災を経験した深川に生まれた者として故郷東京下町を視野に入れながらです。
1923年9月1日の大正の大震災、私は驚いています。大正大震災なんかズ−と昔の話だと思い込んでいました、小さいときから。
ところが1945年東京大空襲とその前の1923年の関東大震災までの期間、なんと22年間。つまり大正の大震災からわずか約20年後に、東京の大空襲。
私の祖母が少学生だった私によく話してくれました、大正の大震災の時にどうであったとか、3月10日の東京大空襲ではこうこうであったとか。
大正の大震災後、私たちの家族は栃木県の佐野(祖母の出身地域)に疎開しました。大正2年生まれの父親は小学生、その佐野で聖公会教会学校に通ったのです。そんなことを父は一言も私たちに話さなかった。しかしズ−とズ−と経ってから、父の従姉妹が「たいちゃん(父親の愛称)はね、教会学校でとても人気者だったの」と話してくれたのです。私が高校卒業するかしないかで牧師の道へ進もうとした時、父親は一言も反対しなかった。親戚の方々が、「たいちゃん何やっているの。跡取りがとんでもない方向に行っているのに一言も言わないなんて、なんで黙っているの」と忠告や警告しても、父親は全然それに耳をかさない。そればかりか、その後の留学を含め神学教育の学費など全面的に援助してくれました。その当時は、子供のため親がするのは当たり前だと私は平然としていました。
しかし今は違います。大正大震災に被災し佐野へ疎開にして、そこで「犬も歩けば棒に当たる」恵みの経験を父はしたのです。佐野の地で教会学校に行き、父親の心に福音の種が蒔かれ、家族にまで見えざる影響を及ぼしたのです。
1923年の大震災で、旧加賀前田藩士の曽祖父を中心に金沢から深川に移住明治維新後築き上げてきたものが全部焼き払われてしまった。それでコンクリ−ト中心の建物を建てたわけです。しかしそれもまた約20年後の1945年に全部焼き尽くされ、祖父と隣接して家族で住んでいた、私の二名の叔母と従兄弟の半数は一晩にして死にました。
 今回の3月11日の出来事を通して、過去―1923年の大正大震災とか1945年の東京大空襲―の意味を改めて考え始めています。1923年・大正12年に大震災があった事実は確かに変わらない、しかしそれがどういう意味があったか出来事の意味の受け止め方は変わるのです。現在の様々な経験を通して過去の意味理解が深まり続けます。
生の出来事などありえない。出来事のその意味が重要です。過去の出来事は決して変わらない動かないと私たちは断定してはいけない。過去は変わってくる。どんどん変わってくると大げさに言いいたいくらい、過去の意味は深まり広まり続けます。
1923年9月1日、1945年3月10日の経験をした深川に生まれた者として、故郷東京下町を視野に入れながら沖縄から関東に戻る意義がはっきりとしてきたのです。

2010年1月18日に最初に計画された集会。それは固定した一つの出来事です。それがどういう意味があるか、それに対して私はどのように備えていくべきか。「あー深川のこと」と考えるようになりました。深川であの大正大震災から3月10日の空襲までわずかな22年の間に復興、その復興したものがもう一度焼け落ちてしまう、そこから再度の再建。
「何たる人たちだ、私たちの父母や祖父母は」、このような思いは、私の子どもの頃にも、青年時代にも感じたこともない。それが今教えられているのです。
 「ともに」は、単に今現に生きている人間との間だけではないのです。過去のいろんな人々とも「ともに」なのです。

(4)地域を越えてともに
さらに「ともに」の恵みにとり地域がとても大切です。
人間は身体を持つ存在ですから、地域と関係なく存在することは出来ません。しかも
いっぺんに二つ、三つの土地・場所に同時に存在できないと普通の考えます。私も長い間そう理解していました。例えば東京の青梅にいたら、埼玉の寄居にはいられない。沖縄に行ったら、同時に青梅にはいられないとズ−と考えていました。  
ところが今はそう思わないのです。新約聖書を読んでいて、「パウロは何教会、どこの教会の牧師と判断しますか」と問われたら何と答えますか。答えは案外難しい。同様に、「ヨハネは何教会の牧師ですか」との問いの答えも難しいです。
確かに、そうです、話しがポ−ンと飛びます。飛躍します。しかし私なりの応答として、三つの地域と立場を拠点に、喜びのカタツムリの地域を越えた歩みを目差したいのです。そしてこの歩みの実践が被爆者キリストへのささやかな応答となればと願うのです。
①栃木県宇都宮キリスト集会牧師
 私は今、宇都宮キリスト集会の牧師です、就任式もしました。この導きの中で、今回の震災を通して、改めて宇都宮の歴史を見直しているのです。
東北の玄関としての宇都宮、この宇都宮に誕生した小さな宇都宮キリスト集会。小さな集会にあって、ただ歴史的に地理的に東北の玄関であるばかりではなくて、小さな群れの祈りが東北へと導かれるようにと。

②千葉県市川市聖望キリスト教会宣教牧師
 東京下町をはじめ東京と隣接、拙宅・市川うちなんちゅうの部屋での月一度の沖縄のための祈祷会の営み。基地撤廃後の沖縄のための祈りの継続です。
東京キリスト教学園と同じ千葉県で近隣である事実から、神学とは何かの根源的な問いも継続したいのです。

沖縄県名護市名護チャペル協力宣教師
 名護・山原から沖縄全体を見る。毎年2月、名護を中心に沖縄での宣教活動。徹底的な聖霊信仰、徹底的な聖書信仰に基づくささやかなカタツムリの歩みを、彼らの遣わされた地・いわき市に留まり続けているSご夫妻に共鳴しつつ、喜びに満たされて歩みを継続したいのです。

〔3〕『私の精神史』への応答の二つの柱 
これからの話をしたいために、今まであれこれ話し,長い寄り道をしてきました。
Aさんの証『私の精神史』を、もっと熟読しないと充分な話が出来ない面があります。しかし「ともに」歩む道は継続ですから、今後の継続を期待しながら、今の時点での私なりの応答をしたいのです。
 まず、柱を立てる必要があります。細かいところはいろいろあり、それはそれで大切です。けれども細かい点を見ていくためにも、家に例えれば柱を二本立てたいのです。
(1)現在と過去と〈2〉現在と将来です。

(1) 現在と過去
 Aさんの『私の精神史』の最初に、目次が登場します。目次はとても大切です。
目次に、書き手は何を(主題)書くか、いかに(展開)書くかを明らかにします。このような目次に提示される全体と細部を注意し続けると、書き手・著者が、なぜこのこと(主題)を、このように(展開)書いたか書き手・著者自身の言い分・意図が明らかになってきます。
Aさんの証の目次で際立つのは、過去、現在、将来と全体を三分している点です。この事実に基づき、二本の柱を私は立てたのです。    
しかもすでに申し上げたように、過去は固定されたものではない。現在が過去を変え続ける、少なくとも過去の意味を変え続けて行く、現在と過去の関係はいかにも豊かなものなのです。
 Aさんの文章も、単なる時の流れに従い書かれているものではありません。何月何日このことが、このように起きた、次に何月何日に・・・とは必ずしも書いていない。
ではどう書いているのか。過去の一つの出来事を書くとそれを現に今どう思うかも練り合わせ織り合わせて書いているのです。
このような現在と過去の関係を考えるとき、大切な鍵をヨハネ福音書9章の初めの主イエスと弟子たちの対話の記事に見出します。

ヨハネ福音書9章1−3節
「またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。』
エスは答えられた。
『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。
わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。』」

あの生まれつき不自由な状態で生まれた人の現在(障害を持つ事実)を、弟子たちは、過去から判断するのです。本人か親かどちらが罪を犯した結果としての現在の障害なのかと。いずれにしても過去が現在を決定する縛りの中で現在を受け止めるのです。

しかし主イエスは、まさにこの点を断ち切るのです。因果応報―想定する原因があって
その結果として現実があるとのドクマ・固定概念・死のワナから、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。」と解き放って下さるのです。しかもそれだけでなく、「神のわざがこの人に現れるためです。」と、まさに希望の未来に導いてくださっているではありませんか。

もみの木幼児園で最初に「水曜会(障害児の親子の会)」を開いた当時、「母源病(今、そんこと言う人はいないですが)」という厭な言葉が幅を効かせていました。母親の育て方によってこの子がこういう状態になったと決め付けるのです。過去と現在を直接的に因果応報という直線で結ぶのです。
簡単に結び付けてはいけない、当時から私の基本姿勢でした。現在と過去の一方的な直結の主張が切られるだけではない。過去は過去として固定されるのでなく、過去の意味が豊かになり続けて行く、そのように私は理解して参りました。

 ところで皆さんの中で精神科にいかれた方おられるでしょうか。
私の限られた見聞では、精神科で治療を受けようとすると十中八、九、患者は自分の過去について根掘り葉掘り聞かれます。
昨年5月東京に移ってから、ある立派なお医者さんの所に行きました。歯医者さんで言えば歯科衛生士の役割をしておられる若い女性が、医師の診察に先立ちいろいろ質問するのです、ついには私たちの子供たちの結婚についても問われました。そんなことが何で私の躁鬱と関係するのか。
ですけれども、彼女は真面目なのです。「なぜ、そんなことを聞くのですか」との私の問いにもめげず、なお質問を続け、その内に「宮村さん、あなたはご自分のことをどう思いますか」と聞くのです。私は、間髪をいれず、「あなたご自身は、ご自分のことをどう思っているの」と聞いたのです。「えっ!!」とびっくりして。・・・
それで、私はなお幾つかのことを言った後、「だから、そうでしょ。自分で自分のことが分からない、自分でも答えられない質問は、他の人にもしない方がいいのでは」と。
このような非常識な会話を私がするのは、過去と現在との絶対的な結びつきに疑いを持たないイズム、しかも自分は別格だとする傾向への反発からです。

 ところがです、20年の年月私の主治医であり、キリストにある心の友・N医師は、過去の現在に対する縛りを絶対視しないのです。
過去のあのことが現在のこのことの原因だとの主張に対して、そうであるかも分からない、しかしそうでないかも分からない、確定できないとの立場をN兄は取るのです。
私は、この立場を慎みの立場(Ⅱテモテ1章7節、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」)と受け取ります。

 一つのドグマ、一つのイズムが生きた人間を縛る。いろいろな場面で宗教がそうしているのを、私は嫌というほど見てきました。しかしそれだけではなく、医学も時にそうなっている。あたかも沖縄のユタの弊害のような役割を果たしていると言えば、あまりに極端でしょうか、過言でしょうか。
こうした現実の中で、N医師は生育をめぐり因果応報的なことを根掘り葉掘り聞かない、どういう過去を持ってきたかを問わない。ただ彼が言っているのは、「火事がバァーと燃えていれば火を消す、そのために薬・薬物を使う」と。薬の使用についてもいろいろな考えがあることを私なりに承知しています。
N医師の主張と実践と同時にリハビリの実践と背後に潜む深さを身をもって体験してきました。この個人的な体験を私の世界に閉じ込めることなく、すべての人々に普遍的に通じる経験へと掘り下げるべく、聖書に基づき私なりに思索を続けています。
一般にあまりなじみのない救済論という用語でなく、リハビリの思想と実践と対話しつつ、生ける三位一体の神による創造から再創造までの万物のリハビリと受け止め描くリハビリ神学の提唱への備えです、

(2)現在と将来
 またポ−ンと話しが飛んでしまいました。話を本筋に戻します。
ヨハネ福音書9章の初めのあの記事で言えば、「神のわざがこの人に現れるためです」(9章3節)、つまり現在と将来の関係です。過去を断ち切るだけではなく、過去に支配されないだけでもなく、さらに過去が変って行くだけでもない。もっともっと積極的に将来・未来への展望が開かれて行く。
そうです、現在から将来への希望をもたらす関係です。
この恵みの事実を、私は「ボタンは下から」と呼びます。洋服のボタンの一番下からかけて行けば、かけ違えることはないのです。
最後・終末から現在を見る聖書の終末観、希望と忍耐に満ちた最も現実的な生き方の提示です。

 今後さらに、Aさんが書いた『私の精神史』と対話を重ねて行きたいと私は願っています。全体で86ページ、かなりの量であることは確かです。事実、Aさん自身が、「『私の精神史』は思い切って詳しく、余計と思われることまで書いてみました」と明言しています。これを手にし、読む者に長いなーと圧倒的な印象を与えます。
しかしおっとどっこいなのです。これを書くためにAさんが消した量、それは一体どれだけのものであったことか。どれだけ消したか、どれだけ捨てたか。
ものを書くとは、自分の内側からの溢れ出、確かにそういう面も否定できません。けれども私に言わせれば、ほとんど自己否定の連続です。「このことを書いていいのかな」「こんなふうに書いていいのかな」、いちいちです。その度に己を捨て、自己否定し消すAさんの営みの結果が、ここに見る86ページです。

 ところで「将来」とAさんが直接書き出すのは、86ページの長大な証の84ページにおいてです。ですから「将来」に書かれている量は、それまでの記述の量に比較して、ごく限られたものです。しかしこの限られた部分を書く意図をもってAさんは、証を書き始め、書き続けたと私は読み取るのです。
 たとえAさんご自身が自分では気付かなかったと言われても、私は、あえてはっきり申し上げます。これは強い意図に支えられ、ものすごい圧力に抗して刻まれた文章だと。
凝縮して書かれている「将来」の部分から、二箇所を引用紹介したいのです。
最初は、比較的長めのもの、次は一行です。

A「『(ご子息のような)肢体不自由の重度脳性まひ児は、その体とぴったり同じ大きさの
牢獄に閉じ込められて生涯をすごすのです』と、あるとき人間能力開発研究所のドーマン博士が言ったのを覚えている。これによる(ご子息)の苦痛の問題には、キリストによって展望が開かれた永世において、最終的な解決をみるはずではないか。」
 
B「すべてについて、私が存在することについて、神様に感謝します。アーメン。」

 初めにBについて、一言。
 これは、「将来」の結び、つまりA4で86ページの証の最後の行です。
Aさんは、青梅キリスト教会に出席し始めた時、週報の題字「存在の喜びをあなたに」に妙に心惹かれたとのこと。そしてAの文章に続いて明言なっています。
「『存在の喜び』とは、・・・それほどまで私を愛してくださる主の前に、その視線の中に生きている、より正確には、生かされている、と意識することなのだ」と。

「存在の喜び」の鍵語が、Aさんと私を結び付けています。
私が自分で自分の存在を喜ぶ、私とAさん家族が互いの存在を喜ぶ。
しかし存在を喜ぶに先立って、存在を喜ばれている恵みの事実。「私のような者の存在を喜んでくださっている神さま、そうでなければ神様は私を創造なんかしない」と私の恩師メネシェギ先生が教えてくださった、あの消息。神さまが喜んでくださっている、だからこそあなたが存在している。神さまはAさんご家族を喜んでおられなければ、Aさん家族は存在しない。この事実を教えられ、確信しています。ともに生き、生かされています。

次にAについて。話しが長くなりました。しかし最後に力を込めて短く語ります。
ローマ人への手紙8章23節をお読みします。
「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」 

「Aご家族とともに」、AさんまたAさんの家族と何を中心にともに生きるのか。
私はこのローマ人への手紙8章23節の宣言に基づいて生かされると答えます。
「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、
心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、
私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」
   
 私たちは、主イエスの十字架の死と復活の事実のゆえに、すでに初穂―保証、手付金―としての聖霊ご自身を受けています。
 しかし聖霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、そうです、うめくのは正常なのです。何のためにうめくのかが問題です。「うめくのが悪い」「うめかなければ善い」、そういう話ではない。
何のためにうめくのか。うめいちゃいけないことのために、またはうめく必要のないことのためにうめいてはいけない。
けれども、うめかなければならないのに、うめかないのは異常です。
では、何のために?「子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいる」ためです。このためにうめくのは正常であり、このためにうめかないことは異常なのです。
 鼻が高いの低いの、顔がどうのこうのなんて言ってられない、そんな暇ないのです。もっと私たちはうめかなきゃいけない、もっと私たちはすばらしいものが約束されているのだから、その完成のためにうめき求めるのです。そしてその望みが確かであればあるほど、私たちはどんなことでも言い訳しない。どんなことでも言い訳しないで、主からのくびきとして負っていく。そうした清々しさ。そうした男らしさ、そうした女らしさ。これが心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望みます。これが現在と将来、希望です。
 同じことを、ピリピ人への手紙3章21節」で、もっと直接的に描いています。
 「キリストは、万物をご自分に従わせることのできる御力によって、私たちの
卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」

 そうです、キリストは創始者、キリストは宇宙万物の保持者です、今も。そして宇宙全体を完成に導く方なのです。そのお方が集中的に私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光のからだと同じ姿に変えてくださる、驚くべき恵みの事実です。
 被爆者キリストは、私たちの一番どん底に来たキリストが、どん底にある私たちとともにいてくださりご自身の栄光のからだと同じからだに変えてくださる。そのプロセスとして、今の歴史が進展している。ですから、一番下も下であれば、一番上も上なんですね。

〔4〕結び 
被爆者キリスト」は、私たちの将来に確信を与えてくださるばかりではなく、日々の生活での苦闘に耐えていくエネルギー、それも軽やかに耐えていくエネルギーを注いでくださいます(マタイ11章25−30節、特に30節、「負いやすく」、「軽い」)。
 そして被爆者キリストがそちらにともにいてくださる、被爆者キリストがこちらにともにいてくださる。だから、縁もゆかりもないと思われる家族が、全然、性格も気性も能力も立場も違うそういう私たちが、なおかつ、ともに生き,生かされるのです。
Aさん家族とBさん家族がともに、何と大きく広がり、豊かに実る恵みの機会が、ここにいる私たち一人一人に与えられているのでしょうか。
長い時間、お付き合いありがとうございました。

一言お祈りをさせてください。
父なる神さま、Aご家族と本日私たちが与えられている実際的なともなる歩みは、とても短いものです。しかしこの出会いの背後に各自がなし続けてきた多様な営みの重さを覚えます。
そして「ともに」の背後とその根底に、いつも「被爆者キリストが私たちとともに」の事実、キリストの十字架の事実を覚えて感謝いたします。
この「ともに」は実に波紋のように広がって行きます。小さな存在である私たち一人一人、いろいろな制約を担っている私たちそれぞれが、「存在の喜び」の証言、顕れとして「この方とともに」、「あの家族とともに」生きる。何と多くの可能性に満ちているのでしょうか。主の私たちに対するご期待は何と深く多様な広がりを持っているのでしょうか。
 どうか私たちが「ともに」生きる責任と特権を忠実に果たし続けることが出来ますように、聖霊ご自身の豊かな導きを与え続けて下さい。主イエスの御名によって、アーメン。