今日は、練馬二丁目伝道所に

本日5月20日(日)は、日本キリスト教団 練馬二丁目伝道所主日礼拝宣教担当でした。
下里綾子牧師と夫の下里誠兄は、1970年青梅キリスト教会に東京キリスト教短期大学の学生として1年間出席。40年ぶりの主日礼拝を共にする喜びでした。
 特に下里兄は、週刊の『礼拝の生活』孔版印刷を担当してくれました。
その実に地味な営みにより、その後『礼拝の生活』が青梅キリスト教会に定着する道を開いてくれたのです。
 そればかりでなく、1986年以降沖縄の首里福音教会での『首里福音』、その後の『恵みから恵みへ』、さらに昨年からの『喜びカタツムリの便り』、そしてこのブログ『喜びカタツムリの歩み』も、あの小さく地味な孔版印刷の営みが小石となった恵みの波紋の広がりと言っても過言ではないのです。

 宣教は詩篇117篇に基づく、『小さく、雄大詩篇

昼食の後半からの自己紹介から始まった懇談のときは、爆笑、爆笑の連続。
確かに少し大げさに聞こえます。しかし少なくとも私にはそう受け取れました。
 ですから今日始めて教会にいらした、お子さんのおられる看護婦さんに、40数年後主の身元に召される臨終の場で、思えば40数年前練馬二丁目伝道所で変な牧師とあって以来の主なる神の導きだった。
変牧が、「犬も歩けば棒にあたる、人間歩けば恵みに当たる」と言っていた。
まさにそのとおりになった。長年練馬二丁目伝道所の一員として歩んできて、本当に良かったと述懐なさる様子が目に見えるようですと、いささか冗談が過ぎるような一場面もありました(あの時、言い切れなかったことばも加えていますが)。
 よた飛ばし、案外冗談ではなく、本気、本音なのです。
ですから、
ルカは、テオピロのために、エンヤコ−ラ
 下里牧師は、一人のために、エンヤコ−ラ
 
私もまけずに、一人のために、エンヤコ−ラ
 あなたもどうぞ、一人のために、エンヤコ−ラ

今週の持ち場・現場での日々に、祝福が豊かにありますように。