テオピロ神学リンク

 テオピロ神学リンクの現状をめぐり、幾つか報告します。
(1)神学とは  
 テオピロ神学の根底には、神学とは何かをめぐり素朴であっても、揺るぎのない確信があります。
 そうです、神学とは、聖書をメガネとして神の被造物を見、創造者の視点から解釈・理解する本来の人間の開かれた行為、私らしい私の豊かな営みだとの確信です。
 例えば、沖縄の伊江島中高生キャンプで直面した台風の受け止め方から、台風の神学への一歩があります。聖書をメガネにして台風について考察する、これが台風の神学です。
 25年間の沖縄での生活・生涯の課題、「沖縄で聖書を、聖書で沖縄」をから必然的に導かれた道です。

(2)神学における個人・人格
 ルカがテオピロ一人のため、ルカ福音書(ルカ1章3節)をさらに使徒の働き(使徒の働き1章1節)を記述した事実―私は素朴にそのように受け止めています―を覚えいつも感動しています。
 一人のためなら、まさに「エーンヤコラ」です。目前の一人に全力を注ぐ、これこそ神学、特に神学教育において必要不可欠な精神と実践と判断します。
 そもそも神学は、生ける三位一体なるお方に基盤を持ち、そのお方との人格的関係が源泉なのですから。

(3)テオピロ神学素案 
 1969年から、三つの神学校で神学教育に従事する恵みを頂きました。
2006年夏に思わぬ経緯で神学校から離れ、神学校教育から退いたのです。
確かにそうであっても、なお依然として神学教育を生き生きと実践していると日々実感しています。
 特に昨年千葉の市川に移住以来、千葉商科大学佐藤哲彰兄との継続的な対話・交わりは、一対一の神学教育の豊かさを確信させてくれました。
 さらに距離の隔たりを越えて、メールや携帯を活用、何よりも祈りの交わりの中でのテオピロ神学です。はじめは小さく一歩を。

(4)名称
 名称としては、テオピロ神学を営むことからテオピロ神学校、さらに規模や性格からテオピロ神学塾が考えられます。
 しかし特定の建物など一切なく、距離の隔たりを越えた一対一の結び付きが基盤である事実から、テオピロ神学リンクを選びました。リンクということばは、今日かなり一般的に用いられており、理解を得やすいのではないかと考えます。
 また私が協力宣教師である名護チャペルでは、チャイルド・リンクやカフェー・リンクなどの名称を活用しています。そこからも学びました。

(5)期間、方法、入学生 
 期間は1年。
 方法、学生が選択した一つの課題を、1年間聖書で対話を重ねる営みを継続。
入学生 カナダで聖公会の按手を受けつつある女性。
    大学で経済学を担当する男性
    大学で物理を担当する女性
    中学で英語を担当する男性
    西多摩の市会議員女性
    私が教えるのを止めた後東京基督教大学卒の男性牧師
 定員7名ですので、後1名4月中に。5月以降は、来年度に備えて行く。
★言われるまでもなく、私の言動は、たしかにドンキホーテー的です。
「雀百まで踊り忘れず」かと冷やかされても仕方が無いことです。