沖縄でも、千葉市川でも

沖縄での恵みの一箇月
主の導きの中に、1月31日(火)君代と二人で沖縄へ向かい、名護チャペルを中心とした沖縄での一箇月、まさに恵みの一箇月でした。3月1日(木)改めて沖縄から派遣される思いで千葉市川に戻りました。この期間お祈りの協力、心より感謝いたします。
 沖縄でも、千葉市川でも祈りのリンクに支えられ、歩みを続ける恵み、感謝しています。

 2月一箇月の日々、名護チャペル(私は同教会の協力宣教師)の共育館(興味深い名称)の一室に滞在させて頂き、田野牧師ご夫妻をはじめ教会の兄姉と日常生活のレベルでも良き交わりを与えられました。
1月31日(火)と2月1日(水)は、懐かしい那覇のビジネス・ホテルに滞在、私たちの沖縄における唯一の親族である松岡太郎・美佐子・めぐみ家族をはじめ懐かしい方々との再会と交わりのとき。2月2日(木)名護へ。
2月5日(日)名護チャペル主日礼拝宣教担当。専門の音楽家である田野ご夫妻牧師が導く会衆による豊かな讃美に満ちた礼拝。同教会の協力宣教師である恵みをしみじみと実感。

2月7日(火)石川福音教会半日修養会 漢那祈りの家 10:00−15:00
使徒信条再考」①「聖徒の交わり」
 今回2月の日々の聖書の味読・身読(からだで、からだとなる読み)を通して、日本福音キリスト教会連合・石川福音教会の重元牧師ご夫妻また教会の兄姉とのキリストにある一体感は一段と深まりました。主にある信頼の絆の中で、「聖徒の交わり」の主題の学びをはじめすべての聖書の味わいを心を一つにして進めることが出来ました。これは恵み。

2月11日(土)2・11集会・祈祷会 10:30 石川福音教会
 昨年この集会では、金城重明先生が講師でした。集会後君代の運転でお宅へお送りした際、別れる直前に、「ボンヘッハ−が収容所で牧会したように、リハビリの場で牧会を続けるように」ともったいない励ましを頂いたことを改めて思い起こしたのです。
 今年は、重元先生が家庭生活の実情と天皇制の関係について地道な味わい深い発題をなさいました。長男嫁の多い石川福音教会の姉妹方と聖書ご夫妻との長年に渡る歩みの中から滲み出た生きた報告。
 その後沖縄戦の体験者の証言を含め懇談、そして祈りのときを持ちました。

2月12日(日)  沖縄バプテスト連盟 安慶名バプテスト教会 40周年記念礼拝宣教担当。
 平良善郎牧師とは、沖縄聖書神学校時代以来親しい交わりを今日まで継続しています、特に卒論指導を通して、世代を越えて説教に対する重荷を共有するようになりました。先生は、昨年移住後市川で迎えた沖縄からの嬉しい最初の客人でした。
沖縄聖書神学校と平行して、沖縄滞在中授業を担当していた沖縄信徒聖書学校の卒業生数名を含む教会の兄姉が私たち二人を心から歓迎してくださり、昼食後の交わり会は、歌や踊りですっかり盛り上がり、沖縄にいるのだとずっしりと実感したのです。

⑤2月14日(火)牧師研修会「牧師原論と展開」10:00−15:00 石川福音教会
 主題に対する重元先生の一言は、ついに「原論」に来ましたかでしたか。
 そもそも牧師とは。この一事を今、ここで問い続け得るかどうかが課題です。
牧師である前に一キリスト者である喜び、つまり創造者・救い主なるお方にある一人の人間としてのかたじけなさ・存在の喜びを忘れない牧師の歩みについて語り合いました。
 牧師であってもなくても、主のためになすことができ、またなすべきことはほとんど変わらないのではと2006年思いもしなかった事態から20年間牧会してきた首里福音教会の牧師を退く中で経験しました。20年間の首里福音教会における日々は、牧師としての立場があるからだけではなく、一キリスト者と生かされている喜びへの応答の側面の重さを認めざるを得ないのです。
 逆に中年後もあのまま一信徒として主と主の教会に仕え続け、牧師などにあえてならなかったらと、身近な二人の例を通して考えてしまうのです。

2月15日(水)沖縄グレイス・チャ−チ祈祷会宣教。
 下地牧師は沖縄聖書神学校入学前後から深い個人的な交わりを重ね、沖縄時代に同教会で何回も宣教奉仕を繰り返して来ました。ここも私の蔵書のかなりのものの嫁ぎ先です。
当日も、8時から集いが始まったのに、集会後には私たちを心から歓迎して下さり茶菓子の振る舞い、その後牧師ご夫妻が中部の宜野湾から北部の名護まで送って下る。かくくして主にある親しい交わりが、ますます深まり豊かに。

2月16日(木)名護チャペルの保育園でゼロ歳、1、2歳児にお話し。主イエス様、子供たち、私の名前・タケオを糸口に、創世記3章9節に見る、「アダム、あなたは、どこにいるのか」との神の呼び掛けを心に確認。20数名の幼児たち一人ひとりの目を見つめながら、タケオ先生だけでなく、タケオチャンになりきって3分の説教。

2月18日(土)日本福音キリスト教会連合星の子キリスト福音教会の小中学生集会で宣教、そのために名護から那覇まで高速バスで移動。。
 若さに満ち溢れている小河敬太牧師は、実に心開かれた態度で小中学生と接しておられます。その結果、牧師舘と共用である古い民家の会堂には、我が家にいるよりリラックスしているのではと思わす態度で集う10数名の小中学生が所狭しと。
ルカ19章1−8節、6節「ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」に焦点を絞り宣教。教会の今までの苦悩の歩みを熟知する者としては感謝、感謝。

 夕方からは、宮城航一・さゆり宅へ。ご夫妻とは、長男忍望が学んだ愛農高校の尾形先生ご夫妻の紹介で、1986年4月沖縄着任以来、主にある親しい交わりを深めて来ました。
今回も1月31日(火)さゆり姉に空港で出迎えて頂き、2月2日にはさゆり姉の車で名護まで、名桜大学での授業を終えた宮城兄と合流、四名で楽しい会食。
先年召天なさった航一兄のお母様・安子姉のお部屋で宿泊。姉妹を懐かしみつつの滞在。

2月19日(日)那覇聖書研究会(無教会)主日礼拝宣教担当。
 宮城ご夫妻は那覇聖書研究会(無教会)のメンバ−。集会の全員とも、沖縄時代全期間を通じて主にある交流を重ねて来ました。ですから今回の主日礼拝宣教担当も、さらなる喜びの機会なのです。宣教題は、「ロ−マ人への手紙一、二、三」(ロ−マ1章1−4節、11章36節−12章2節、16章1−2節)。
礼拝後の感話会では、「集会は、単に聖書研究会でよいのか、礼拝であるべきでは」との発言も。とのもかくにも一同心満たされて沖縄教育会館を後に。

2月21日(火)石川福音教会半日修養会 漢那祈りの家 10:00−15:00。
使徒信条再考」「からだのよみがえり」。この主題は、70歳を前に残る生涯における課題と思い定めていました。そこに2009年12月脳梗塞発症、この主題はさらに心に深く。
集会はローマ8章18−25節を中心に。石川福音教会員以外の参加者も少なく、自ずから交わりの広がり、同時に深まりも。

⑪2月22日(水) 沖縄バプテスト連盟 胡屋バプテスト教会祈祷会。
 80歳を越された渡真利文三先生の奥様が、私たちの訪問を知られて、ご不自由なお体をおして参加なさる、そのお姿に強い感銘を受けました。
文三、彦文二代の牧師先生との長年の交わりは、沖縄にいてもはなれても大きな恵み。
文三先生は、まさに沖縄の長老牧師、いわゆる牧師の牧師と呼ばれる存在です。
彦文先生は、沖縄へ移住期の私の国立時代の学生で、留学に当たってカナダ・トロント神学校を紹介した感謝な思い出もあります。沖縄聖書神学校での同労者。

2月23日(木) 名護チャペルの保育園で2回目の宣教。
食前のお祈りの有無で食事とえさの違いに焦点を絞り。
Ⅰテモテ4章3節前半,4節、
「しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」
 私の特愛の聖句の一つです。
2月25 日(土)沖縄バプテスト連盟 那覇バプテスト教会島田実、比嘉康子お二人の按
 手礼式出席。昨年5月沖縄を去る前から予定していた恵みの機会。お二人を祝福すべく
駆けつけた多くの方々と再会できたことも、感謝でした。

2月26日(日)日本キリスト教会 沖縄伝道所主日礼拝出席。
 川越牧師夫妻は、1969年に私が最初に担当した東京キリスト短期大学の授業で出会って以来の主にある交わり、なんと40年後沖縄で深い協力関係を樹立、主は実に良きお方です。
 同教会の兄姉とも沖縄時代を通じて、終始親しい交わりを与えられ続け感謝です。

2月28日(火)牧師研修会「説教原論と展開」10:00−15:00 石川福音教会
集中
 説教・宣教においてなくてならぬ一点は。
 説教・宣教において是非避けるべき一点は。

展開
(沖縄の教会における)説教・宣教の展開は、どの方向へどのように。
★宮村が、説教・宣教に関して課題として来た項目を手がかりに
① 礼拝と説教・宣教の関係
礼拝の豊かさと説教・宣教の位置と役割
② 沖縄で聖書を聖書で沖縄を
(沖縄の教会の説教・宣教の基盤として)
③ 説教・宣教のテキストの選択と教会の歩み(10年、年間、月間)
④ 説教・宣教の基盤としての徹底的聖霊信仰・聖書信仰
⑤ 説教者としての自覚と歩み、宮村の場合、では参加者各自は。
⑥ 聖書(聖書記者と最初の読み手)と説教・宣教者と会衆
   誰に向かって語るのか。一人。地域教会、地域社会、全地・詩篇100篇1節
⑦ 説教・宣教の構造。起、承、転、結に学んで。
⑧ 説教・宣教の基盤、聖書解釈と生活・生涯。
 人間・私は、聖書を解釈する程度に応じて生き、生きる程度に応じて聖書を解釈する。
聖書解釈は、生活・生涯の単なる一部としての技術ではない。
それゆえ説教・宣教も生活・生涯全体と不可分。
⑨ 説教・宣教において宮村が特に意識している聖書箇所
マルコ1章17節
「イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』」
エレミヤ31章33節
「・・・わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
Ⅱコリント3章3節
「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。」
使徒20章27節
「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」
ルカ1章3節
「・・・あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。」
ルカ24章32章
「そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
コロサイ4章4節
「また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」

2月29日(水)白い家フエローシプチャーチ祈祷会。
 「おかえりなさい」と温かく迎えて頂く。熱心にみことばに耳を傾け、心を込めて祈られる一同の姿に感動しました。獣医として働きつつ教会に仕えている、チャンコ先生の愛称で一同の信頼を受けている横田玲子先生は、沖縄聖書神学校で卒論を担当したことを含めキリストにある心からの同志です。私がチャンコ先生の先生ということで、私のような者にも注がれる敬愛の念は、並ではありません。
 集会後、90歳を越え、今はベットでの上で生活なさっている、伊藤嘉子牧師のお母様と共に祈りのときを持つことが出来ました、小さく細い最後の「アーメン」に心満たされ教会を後に。

  名護チャペルを中心とした、沖縄での一箇月、まさに恵みの一箇月でした。
改めて沖縄から派遣される思いで3月1日関東に戻りました。
そうです。沖縄でも、千葉市川でも。

Ⅱコリント9章10節
「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、
あなたがたにも蒔く種を備え、
それをふやし、
あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」。
Ⅱコリント9章11節
「あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、
それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。」
 Ⅱコリント9章15節
  「ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」

聖歌292番
1月31日に千葉を旅立つ前、何日も昼となく夜となく、聖歌292番を繰り返し讃美し続けました。
心からの祈り、また心の確信となりました。
1 今日まで守られ、来たりしわが身、
  つゆだに憂えじ、行く末などは
  いかなるおりにも 愛なる神は
  すべてのことをば よきにしたまわん
2 か弱きものをも かえりみたもう
  わが主の恵みは この身にたれり
  にぎおう里にも  さびしき野にも
  主の手にすがりて 喜び進まん
3 主の日ぞいよいよ 間じかに迫る
  浮世の旅路も しばしのまのみ
  間もなく榮の みくににゆきて
  ときわに絶えせず わが主と住まわん