短編の切れ味、1章だけのユダの手紙

短編の切れ味、1章だけのユダの手紙              
                     
[1] 序
(1)手紙の発信人
イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟であるユダ」(1節前半)
ヤコブは、手紙を受け取った人々に良く知られた人物。エルサレム教会の指導者(使徒15章13節)、主イエスの兄弟(マタイ13章55節)。ペンテコステのとき、祈る群れの一員(使徒1章14節)。そのヤコブの兄弟ユダ。

(2)手紙の受取人
「父なる神にあって愛され、イエス・キリストのために守られている、召された方々」
キリスト者・教会の特徴を明示。
①「父なる神にあって愛され」
 ユダは、受取人たちに向かい、「愛する人々」と、3節ばかりでなく、17節と20節でも繰り返して、自らの彼らに対する愛を明らかにしています。
 しかし何よりも驚くべき、「父なる神にあって愛され」ている恵みの事実。

②「イエス・キリストのために守られている」
 主イエスの再臨によって完成する救いの成就のために。私たちではなく、キリストご自身を中心に救いの理解。参照ヨハネ17章1−5節。

③「召された方々」
 選び、召される恵み。
エペソ1章4節
「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」

(3)手紙を書く必要
「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。
というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは・・・」(3節後半、4節前半)。
 この「ある人々」について、ユダは明らかにして行きます

[2]兄弟愛の実践と信仰告白
 ヨハネの手紙の第二の主題と内容は、基本的には、ヨハネの手紙と同じで、「真理と愛」(Ⅱヨハネ3節)の二本柱。
 愛については、「お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。」

[3]「私たちがともに受けている救い」(3節前半)、20−25節
(1)救いの内実の提示・確認、20−23節
①3節、17節に続いて、3回目。頂点と言うべき「愛する人々」に対する呼び掛けで、
まさに手紙の書き手ユダの心のマグマに触れる、「手紙を書こうとして、あらゆる努力し」(3節)つむぎ出された心のこもったことばです。

②「信仰の上に自分自身を築く」(20)

③「聖霊によって祈り」(20)
 ローマ8章26−27節。

④「神の愛のうちに自分自身を保つ」(20)。神の愛の事実、ほとばしりが基盤。

(2)頌栄、24,25節
ユダの頂点。
主日礼拝においても、頌栄が頂点。
①24節
「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、」

②25節
「すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。」

[4]集中と展開
(1)集中
 「お方」信仰
「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、」
キリスト教ではなく、キリストご自身
単なる超自然的な力としての聖霊でなく、聖霊ご自身
三位一体論でなく、生ける三位一体なるお方

(2)展開 
エペソ6章10−20節。

短編の切れ味、1章だけのヨハネの手紙第二

短編の切れ味、1章だけのヨハネの手紙第二
             
            
[1]序
(1)手紙の発信人
「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ」(同1節)

(2)手紙の受取人
「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ」(同1節

(3)手紙を書く必要
 ヨハネの手紙3通に共通した手紙を書く必要の背景と論敵。
彼らの考えはギリシャ思想から派生した霊肉二元論で、霊のみを善とし、肉体や物質を悪と見なすのです。そこから「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。」事態が生じたのです。
 さらに肉体軽視から一転して、放縦な、好き勝手な生活。

[2]兄弟愛の実践と信仰告白
 ヨハネの手紙の第二の主題と内容は、基本的には、ヨハネの手紙第一と同じで、「真理と愛」(Ⅱヨハネ3節)の二本柱。
 愛については、「お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです」と、兄弟愛の実践が率直に勧められています。また、信仰告白の中心、「キリストの教え」(5節)の内容として、「イエス・キリストが人として来られたことを告白)(同7節)することを特に取り上げ強調。
 主なる神のの命令・真理と愛、パパニコルからの遺訓、エペソ4章15節、「愛をもって真理を語り」。

[3]長老から、選ばれた夫人と子どもたちへ
 しかしヨハネの手紙第一と内容は基本的に同じであっても、ヨハネの手紙第二の表現形式は異なり、当時の一般的な手紙の形式に従います。例えば手紙の書き出しは、「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ」(同1節)と、発信人と受信人を明記しています。
 ヨハネの手紙第三の発信人と同様、この「長老」は、ヨハネ福音書またヨハネの手紙第一の用語と内容(真理、愛、人となられた主イエスの強調など)との類似から、晩年の使徒ヨハネを指すと見てよいでしょう。彼は、明らかに、地域の指導者以上の者、また「長老」という名称で、受信人たちがそれがだれであるか特定できた人物として登場しています。

 注目したのは、「選ばれた夫人とその子どもたちへ」と呼ばれている受信人。
この呼称が誰を指すかで、大きく見て二つの理解。
①特定の夫人を指すとの理解。

②ある特定の教会を擬人化しているとの見方。この場合は、「子どもたち」とは、その特定の教会の教会員を指すとの理解。

★いずれも「特定」が大切です、注目。「特定」、つまり、あるとき、あるところの、ある人々、つまり事実に根差すのです。

 しかし、その恵みの事実は、特定の時、場所、人に限定されないのです。
福音が伝えられ、受け入れられる何時でも、どこでも、誰にでも新しい恵みの事実として現実となるのです。

[4]信仰教育の実践
 初代教会において信仰継承において果す女性の役割は注目すべきです。
親から子へ、さらに子から孫への信仰の継承は、ロイス、ユニケ、テモテへと見る実例(Ⅱテモテ1章5節)、またピレモン、アピヤ、そしてアルキポ(ピレモン1、2節)と紹介される家庭で、「姉妹アピヤ」、おそらくピレモンの妻の場合
 この初代教会の家庭における信仰教育の実践の根底にあるのは、子供の教育に対する責任は主なる神から親に委ねられたものとの教えであり、旧約時代以来一貫した確信です。
申命記31章9−13節。
モーセはこのみおしえを書きしるし、【主】の契約の箱を運ぶレビ族の祭司たちと、イスラエルのすべての長老たちとに、これを授けた。
そして、モーセは彼らに命じて言った。「七年の終わりごとに、すなわち免除の年の定めの時、仮庵の祭りに、 イスラエルのすべての人々が、主の選ぶ場所で、あなたの神、【主】の御顔を拝するために来るとき、あなたは、イスラエルのすべての人々の前で、このみおしえを読んで聞かせなければならない。」
 礼拝と信仰教育は、切り離せない。その中心は家庭。
 現代で言えば、国家、地域、企業などの教育に先行するものとして、親に委ねられた教育の責任であり、特権です。

パウロの手紙と同様、実際的な課題に対して、生活の現場でに根ざす励ましと警告を与え、著者は牧会の責任を果たしています。

短編の切れ味、1章だけのヨハネの手紙第三

短編の切れ味、1章だけのヨハネの手紙第三
                     
[1] 序
(1)手紙の発信人と手紙の受取人
「長老から、愛するガイオへ」(同1節)
ヨハネの手紙第二同様、発信人と受信人を明記しています。

○まずアウトラインを手掛かりに、短い手紙を一人一節づつ通読しましょう。
アウトライン
1.1,2節 挨拶
2.3,4節 真理に対する忠実さ
3.5−11節 持て成しの重要性
  5−8節 積極的な励まし
  9−10節 否定的な例
11節 善対悪
4.12節 デメテリオに対する推薦
5.13,14節 結びと別れ

○通読して、特に心に留まった箇所、事柄、ことばがあれば、一言。
なければ、パス。

[2]「愛する者よ」
 特に受信人について、「愛するガイオへ」と呼び、両者を堅く結ぶものは、
主イエスにある愛の絆である事実を明らかにします。
 さらにその直後に「私はあなたをほんとうに愛しています」と強調。

 また「愛する者よ」と短い手紙で3回(2、5,11節)も繰り返し呼びかけています。ヨハネ福音書に生き生きと描かれている主イエスの弟子たちに対する愛(ヨハネ13章1節、「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。」)が、主イエスの模範に従う弟子たちを通して。
ヨハネ13章14,15節、「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」、波紋のように広がって行く様を見ます。

[3]善を見ならいなさい
 この手紙においても、愛と同様に、もう一本の柱である真理に焦点が当てられています。
 愛に根差すガイオが同様に、「真理に歩んでいることほど、私に大きな喜びはあいません」と、長老ヨハネは語っています。

 愛と真理のうちに歩むガイオが、直面している課題。それは、「悪を見なわないで、善を見ならいなさい」(Ⅲヨハネ11節)と、実際的なものです。

 彼の目前には、二人の人物がいます。
一人はテオテレペス。
「彼らの中でかしらになりたがっている」(9節)と、彼の問題は、「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」(マルコ10章43節)と明示されている道から逸脱してしまったことにあると長老ヨハネは直言しています。

 もう一人はデメテリオ、「みなの人からも、また真理そのものからも証言されています。私たちも証言します」(12節)と言われている人物です。
 この両者を目にしながら、ガイオは、「悪を見なわないで、善を見ならいなさい」(Ⅲヨハネ11節)と勧めを受けているのです。

[4]集中と展開
(1)集中
愛の場合(ヨハネ13章①,14,15節)と同様、真理の場合も生活・生涯において真理に従う人格・模範を通して拡がる事実を見ます。
 
(2)展開
この手紙があの時、あの場所で最初に読まれたときも、今この時、この場所で読まれる時も。
そして何時どの時も、どの場所で読まれる時も、聖霊ご自身の助と導きにより、キリスト者・教会を生み出し成長させるため、この小さい1章だけのⅢヨハネは、聖書の掛け替えのない一部として用いられているのです、感謝。

ヨハネからことばの花束。
キリスト者・教会の交わり、主イエスにあって「私はあなたを本当に愛しています」(1節)。

②全人格的祈り、「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(2節)。

③手紙の活用、「あなたに手紙を書き送りたい」(13節)。

短編の切れ味、1章だけのオバデヤ書

短編の切れ味、1章だけのオバデヤ書              
                     
[1]序
今回、1章、だけの聖書各書を取り上げた目的。
小さいもの・短いものを軽視したり、まして無視しないため。
 さらには66巻どの書も神のことばとして統一性を持つ聖書が、同時に内に含む豊かな多様性の一端を味わう機会として。

[2]オバデヤ
(1)旧約聖書の中で一番短い、ただ1章の預言書。
 短いからと言って、勿論価値が低いわけではない。

(2)オバデヤ書だけでなく、個人的に私がだいすきな、ヨナ書もその内に属す12小預言書についても、小のために軽視したり、ましてや無視することがないようにしたい。今回は、そのための試み。

[2]オバデヤ書、何が主題、いかに展開
(1)主題は、唯一つエドムについて。
1節、「 オバデヤの幻。
   神である主は、エドムについてこう仰せられる。」
 
エドムは、ヤコブの双子の兄弟エソウの子孫とされる人々で、歴史を通じイスラエルとの間に、緊張関係が続く。特にイスラエルがバピロンに滅亡させられた際、エドムの態度(10,11節)が問題とされる。

(2)いかに(展開)
 二つの大きな柱
エドムの滅亡、2−15節
 2−15節、特に15節に注意。
「【主】の日はすべての国々の上に近づいている。
 あなたがしたように、あなたにもされる。
 あなたの報いは、あなたの頭上に返る。」
後半で直接描くエドムの滅亡が、前半に見る「すべての国々」また「主の日」との関係(視点)から見られています。

②主の日(終末)におけるエドム、16−21節
エドムへのさばきは、エドムだけに対するものではない。
16節に注意、
「あなたがたがわたしの聖なる山で飲んだように、
すべての国々も飲み続け、
飲んだり、すすったりして、
彼らは今までになかった者のようになるだろう。」
すべての国々に対して「王権は主のものとなる」(21節)と、時代や場所を超えた神の主権・統治が宣言されています。
 主なる神の全世界に対する統治・神の国の一部としてエドムに対するさばき。 

[3]オバデヤ書、なぜ(意図)、このことをこのようにかたる目的・メッセージ・
 エドムの悪や不法が放置されず、神の審きはなされる。正義の神の統治をあなどることは許されず、またあきらめたり絶望してはならない。

 単に、今の時点の、またエドムとイスラエルの関係だけでを見て、復讐の繰り返しを続けてはいけない。
 「主の日」、「すべての国々」の視点。

 何と言っても、「王権は主のものとなる」(21節)との希望の宣言、約束。

[4]集中と展開
(1)集中 
 聖書がどのように多様に見えても、全体を貫き、全体の基盤である統一性をしっかり見続けていく。
1テモテ3章16,17節
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

(2)展開
同時に、聖書の多様性を大切に。
ヘブル1章1節、一度にすべてではなく。
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、」
「同時に」の恵み。

4月11日(水)ヨハネ13章の味い、その1 編集会議午後1時神田岩本町クリスチャントゥデイ、3名と傍聴者で編集会議

4月11日(水)ヨハネ13章の味い、その1
編集会議午後1時神田岩本町クリスチャントゥデイ、3名と傍聴者で編集会議

https://youtu.be/7mS9Bfs7P30
    ヨハネ13:1