短編の切れ味、1章だけのヨハネの手紙第二

短編の切れ味、1章だけのヨハネの手紙第二
             
            
[1]序
(1)手紙の発信人
「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ」(同1節)

(2)手紙の受取人
「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ」(同1節

(3)手紙を書く必要
 ヨハネの手紙3通に共通した手紙を書く必要の背景と論敵。
彼らの考えはギリシャ思想から派生した霊肉二元論で、霊のみを善とし、肉体や物質を悪と見なすのです。そこから「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。」事態が生じたのです。
 さらに肉体軽視から一転して、放縦な、好き勝手な生活。

[2]兄弟愛の実践と信仰告白
 ヨハネの手紙の第二の主題と内容は、基本的には、ヨハネの手紙第一と同じで、「真理と愛」(Ⅱヨハネ3節)の二本柱。
 愛については、「お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです」と、兄弟愛の実践が率直に勧められています。また、信仰告白の中心、「キリストの教え」(5節)の内容として、「イエス・キリストが人として来られたことを告白)(同7節)することを特に取り上げ強調。
 主なる神のの命令・真理と愛、パパニコルからの遺訓、エペソ4章15節、「愛をもって真理を語り」。

[3]長老から、選ばれた夫人と子どもたちへ
 しかしヨハネの手紙第一と内容は基本的に同じであっても、ヨハネの手紙第二の表現形式は異なり、当時の一般的な手紙の形式に従います。例えば手紙の書き出しは、「長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ」(同1節)と、発信人と受信人を明記しています。
 ヨハネの手紙第三の発信人と同様、この「長老」は、ヨハネ福音書またヨハネの手紙第一の用語と内容(真理、愛、人となられた主イエスの強調など)との類似から、晩年の使徒ヨハネを指すと見てよいでしょう。彼は、明らかに、地域の指導者以上の者、また「長老」という名称で、受信人たちがそれがだれであるか特定できた人物として登場しています。

 注目したのは、「選ばれた夫人とその子どもたちへ」と呼ばれている受信人。
この呼称が誰を指すかで、大きく見て二つの理解。
①特定の夫人を指すとの理解。

②ある特定の教会を擬人化しているとの見方。この場合は、「子どもたち」とは、その特定の教会の教会員を指すとの理解。

★いずれも「特定」が大切です、注目。「特定」、つまり、あるとき、あるところの、ある人々、つまり事実に根差すのです。

 しかし、その恵みの事実は、特定の時、場所、人に限定されないのです。
福音が伝えられ、受け入れられる何時でも、どこでも、誰にでも新しい恵みの事実として現実となるのです。

[4]信仰教育の実践
 初代教会において信仰継承において果す女性の役割は注目すべきです。
親から子へ、さらに子から孫への信仰の継承は、ロイス、ユニケ、テモテへと見る実例(Ⅱテモテ1章5節)、またピレモン、アピヤ、そしてアルキポ(ピレモン1、2節)と紹介される家庭で、「姉妹アピヤ」、おそらくピレモンの妻の場合
 この初代教会の家庭における信仰教育の実践の根底にあるのは、子供の教育に対する責任は主なる神から親に委ねられたものとの教えであり、旧約時代以来一貫した確信です。
申命記31章9−13節。
モーセはこのみおしえを書きしるし、【主】の契約の箱を運ぶレビ族の祭司たちと、イスラエルのすべての長老たちとに、これを授けた。
そして、モーセは彼らに命じて言った。「七年の終わりごとに、すなわち免除の年の定めの時、仮庵の祭りに、 イスラエルのすべての人々が、主の選ぶ場所で、あなたの神、【主】の御顔を拝するために来るとき、あなたは、イスラエルのすべての人々の前で、このみおしえを読んで聞かせなければならない。」
 礼拝と信仰教育は、切り離せない。その中心は家庭。
 現代で言えば、国家、地域、企業などの教育に先行するものとして、親に委ねられた教育の責任であり、特権です。

パウロの手紙と同様、実際的な課題に対して、生活の現場でに根ざす励ましと警告を与え、著者は牧会の責任を果たしています。