詩篇119篇の味わい その10 詩篇119篇137-144節

詩篇119篇の味わい その10
詩篇119篇137-144節

137節
 「正しい あなたは 主なる神よ
(義)
まっすぐ さばき・あなたの」

神の正しさ、神の義、義なる神。これは、聖書の根本的メッセージ。
「まっすぐ」、なんと清々しいことか。曲がったものが大手を振って、まかり通る現実の中で。
義でない神のさばきなど、一つとしてない。

138節
「あなたがおおせられた 正しく さとし

また真実 この上なく」

主なる神の真実と神のみことばの真実は切り離すことは出来ない。
主なる神は、律法・神のことば・聖書のうちに、ご自身の義と真実を完全で十分にお示しになっておられる。

139節
「私を滅ぼしてしまう 熱心・私の

なぜなら 忘れている ことば・あなたの 敵・私の」

主なる神への熱心(愛)がどれほどのものであるか、詩篇の記者は明らかにしている。自分自身が迫害を受け、危害を被っていることよりも、主なる神に対する人々のあなどりの方が、詩人にとって痛みであり、苦しみ。
私たちが、誰のため、何のために真に痛みを覚えるのか、私たちのあり方が問われている。

140節
「練られている ことば・あなたの この上なく

そしてしもべ・あなたの 愛している・それを」

練られるとは、不純物を除く、精錬され、純化されること。
詩人の記者は、神のことばがいかに純粋のものであるか経験しており、そこからの心熱くしての証し。
神のしもべである者にとって、みことばを愛することが許されている、その事実が恵み。

141節
「つまらない者 私は 見下されている
(小さい者)
いましめ・あなたの ない 忘れる」

1行目と2行目の鋭い対比
忘れないは、覚えているより強い意味。ここに本当の知恵、賢さがある。
詩人の信仰、自分の状態がどのようなっても、主なる神への恐れと愛は変わらない。

142節
「義・あなたの 義 永遠に至る

そしてみおしえ・あなたの まこと」

詩人は、神の律法がいかなるものであるか、神の律法を義とまことをもって飾り、証している。

143節
「苦難 そして窮乏 襲いかかってくる・私に

仰せ・あなたの 喜び・私の」

一行目の現実にもかかわらず、2行目の告白。
神のみことばが私たちの心に注いでくださる喜びは、環境に左右されない。それは、ただ聖霊ご自身の助け、導きを通して。

144節
「義 さとし・あなたの とこしえまで

悟りを与えて・私に そうすれば わたしは生きます」

悟りを求める祈り、119篇34、73、125、130、144、169節。

神のことばによって、初めて真に生きる者とされる、マタイ4章4節。
伝道とは、このことが現実になること。教会学校のため、主日礼拝のため、そして私たちの家族、親族、友人、知人のための証しのため。