詩篇119篇の味わい その8詩篇119篇113-120節

詩篇119篇の味わい その8
詩篇119篇113-120節

詩篇119篇113-120節
113節
 「二心の者 私は憎みます。

しかしあなたのおしえ わたしは愛します。」
「憎しみ」、「憎む」。そのことが、いつ木、何についてもだめなのではない。
憎んでもよいもの、憎まねばならないもの、またときがある。

しかし憎しみや憎むだけではいけない。
「愛する」、「愛」は必要、不可欠。注意したいのは、愛さなくともよいもの、愛していけないものもあること。
みことばを「愛する」する者とされたことが、どんなに大きな恵みかをいつも忘れないように。
◆40年の牧会生活から引退された、沖縄今帰仁の三輪先生のお話し、証。
 「二心の者」、マタイ5章24節。

114節
「私の隠れ場、私の盾、あなたは(主なる神)

あなたのことばに(中に) 私は望を置く。」
主なる神は、私にとって、いかなるお方か。
「隠れ場」、私自身が、危険なところから移動し、危険を避ける。
「盾」、私は、主なる神に与えられた持ち場・立場に止まり身を守る。
あなたのことばに私は望みをおく。主なる神様と私たちの関係、交わりにおいてことばがどんなに大切帰って。
私たちの人間の間・関係においても、互いのことばが大切。相手のことばをどれだけ重んずるかと相手をどれだけ重んずるかは、切り離せない。
どうように私のことばが重んじられることと私自身が重んじられることは、切り離せない。

◆ことばと同様、名前ついても。名前を貸すだけよいなど、とんでもない話。虎は死んで、皮を残し、人は死んで、名を残す。

115節
「私をささえ あなたのことば(約束)通り

(そうすれば)私は生きます。

しない(ノー)あなたは私をはずかしめない。(私の希望をつぶさない)。」117節
「私をささえてください。
そうすれば私は救われます(解き放れます)。

また目を止めます あなたのおきてに いつも。」
単に救われる(自分本位になる危険性)、さらに積極的に、主なる神のみこころに聴き、従う(神中心の生活・生涯)。

118節
「卑しめられます 御名 迷い出たもの あなたのおきてから
(文頭、強調)

なぜなら(理由) 空しい 彼らの欺きは」

119節
「かなかす(のように) あなたは取り除かれる すべて 悪者 地上の

それゆえ 私は愛します あなたのさとしを」
120節
「震えています 恐れてあなたを 私の肉は

さばきあなたの 私は恐れています」
ピリピ2章12節を前後関係を注意して心、生活・生涯に聖霊ご自身に刻んでいただきたい。
箴言1章7節
女子大の教室での私語、2004年4月までの課題の一つ、主日礼拝5分前、出来れば15分前。