畏友故教会音楽家・天田繋先生の思い出 その3

畏友故教会音楽家天田繋先生の思い出 その3
教会音楽奉仕(者)の神学

★2011年5月、25年ぶりに関東へ戻って以来、爆笑仲間として私たち夫婦にとって掛け替えのない存在となった、下川羊和先生。
 その羊和先生が、天田先生と私の最初の直接な協力の集会のレジメについて、長い年月の計kの後に、北海道から問い合わせてくださったのです。
 今回、天田先生の思い出を書く切っ掛けになりました、感謝。

★教会音楽奉仕(者)の神学

[一]序
(1)出発点
(イ)受身として。天田先生からのお話。教会音楽奉仕を専門的立場から求めて行く時、聖書の基盤の確認の必要。

(ロ)自らの課題として。一地域教会の交わりに生かされる者として、教会音楽奉仕について直面せざるを得ない。

(2)今回、ともに考えたい事柄
 Ⅰコリント十二章1節から31節を中心に、以下三つの点から、与えられた課題について思い巡らしたい。
(一) 教会とは何かを再確認。そこから、教会奉仕、教会音楽奉仕について考える。

(二) 教会奉仕とは何かを確認し、そこから教会音楽奉仕について考える。

(三) 以上の土台に立ち、直接教会音楽奉仕について、声楽と楽器の両側面から考える。

[二]教会とは何か
(1)パウロ神学全体を通して
 (イ)神の民としての教会
    これは、新約聖書全体に見られる、教会についての一般的な理解と一致するもので、アブラハム以来の神の民の歩み一貫性重視。
  (a)神と神の民の契約関係
  (b)教会の贖罪的、歴史的側面
 
(ロ)キリストのからだとしての教会
  パウロの特徴ある表現。教会の具体的なあり方と特徴を示す。特に、キリストと教会の関係が浮き彫りにされている。

(2)キリストのからだなる教会について明示している具体例として、Ⅰコリント十二章1節から31節を見る。
(イ)1〜3節。イエス・キリストの主権。
 
(ロ)4〜11節。教会の多様性における統一。
 
(ハ)12〜31節。教会の統一における多様性。

(3)Ⅰコリント十二章12節、13節について。
(イ)キリストの
 
(ロ)一つのからだ
 
(ハ)多くの部分

[三]教会奉仕とは何か
(1)Ⅰコリント十二章4節から6節に見る、賜物、奉仕、働き、この三つの表現に注意
 (イ)賜物
 (ロ)奉仕
 (ハ)働き

(2)教会奉仕全体について注意すべきこと
 (イ)多様性
 (ロ)「みなの益となるために」(7節)
 (ハ)「みこころのままに」(11節)

(3)教会奉仕者として注意すべきこと
 (イ)自己卑下(15節以下)
 (ロ)高慢(21節以下)
 Ⅰコリント十三章4節に明示されている愛の道による励ましと批判。

[四]教会音楽奉仕の課題
(1)声楽
 (イ)何を
 (ロ)いかに
 聖書の記述の場合も、何をと同時に、いかにが大切な課題。いかにを考える場合、文学類型、たとえば、新約聖書の場合、福音書使徒の働き、書簡、黙示録それぞれの表現様式に注意する必要がある。
 声楽において、何をと賛美の内容ばかりでなく、いかにと技術をも重視するのは、聖書の性格に一致

(2)楽器
 詩篇一五〇篇を手掛りに。奏者(人格的存在)と楽器(非人格的存在・物質)とのダイナミックな係わり。
 聖書の契約構造は、神との係わり、人との係わりばかりでなく、物質との係わりも含む。楽器の奏楽を、この聖書の契約構造の全体像において考察すべきではないか。

★[四]教会音楽奉仕の課題
人格・人間と非人格・楽器の関係は、人間と物質の関係全体へ広がる興味深い課題です。今の時点で、別稿で少しでも展開できれば、天田先生との友情を記念する意味でもうれしいです。