9月21日(金)ヨハネ19章の味わい その3 雨のため、神田岩本町クリスチャントゥデイ事務所行き中止、在宅クリスチャントゥデイ記事コメントを中心に読み書き

9月21日(金)ヨハネ19章の味わい その3
雨のため、神田岩本町クリスチャントゥデイ事務所行き中止、在宅クリスチャントゥデイ記事コメントを中心に読み書き
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ヨハネ19:4、5
主イエスの私たちへの愛、では私たちの主イエスへの愛は

[1]ヨハネ19:4
(1)前半
 ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。
「よく聞きなさい。
 あなたがたのところにあの人を連れ出してきます。」
「もう一度」、「よく聞きなさい。」」など強調。

(2)「あの人に何の罪を見られないということを、あなたがたに知らせるためです」
 ピラト、主イエスの無罪の確認。そうであれば当然期待される積極的なユダヤ時に対する言明でなく、・単に責任逃避的ことば。
 
[2]ヨハネ19:5
(1)前半
 「それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を付けて、でてこられた。」
よく聞き、よく見るべき主イエスについての事実。
ピラトにの黙認、ローマの兵士による侮辱。
主イエスは、徹底的に無力受け身に関わらず、自発的行為。
恥をいとわない、主イエスの私たちヘの愛、ヘブル12:2「喜びのゆえに」!
主イエスの私たちへの愛はこれほどまで、では今、ここで福音書の読者である私たちの主イエスへの愛はと問われる。

★宮村武夫著作6『主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ ドストエフスキーの神学的一考察、他』。 宮村武夫 日本クリスチャン・カレッジ 卒業論文「主よ、汝の十字架をわれ恥ずまじ」。