「童謡説教」をめぐって その5 敬愛する加藤常昭先生からの便り

「童謡説教」をめぐって その5 敬愛する加藤常昭先生からの便り

童謡説教を開始してそれほど経過してない頃、敬愛する加藤常昭先生から頂いた便りも励ましでした。2012年4月のある主日午後8時前、宇都宮キリスト教会から当時の市川の自宅に戻ると 加藤常昭先生の便りが届いていました。手にした封書の重みを感じました。

★2012年4月6日(土)昼過ぎ、折からの異常気象警戒のニュースに運ばれるように宇都宮に。心を込めた晩餐の持て成しと交わり。
7日の主日礼拝では、ヨハネ21:1−4、『イ−スタ−の後、主イエスは』,午後の5人が参加した19回総会(春と秋総会)と心を熱くし心満たされた状態で、加藤常昭先生の便りを読み始めました。

 手紙は、沖縄の平良善郎牧師と説教塾についての言及から始まり、沖縄聖書神学校時代から続く私たちの交わりを喜んでくださり、さらに安中の三浦陽子牧師について。三浦先生は、沖縄から出講していた頃、キリスト教え学園での教え子です。こうして神学校こそ違え、二人の教え子が加藤先生と私の交わりを深めてくれているのは、小さくない恵み。

 話題の中心は、なんと言っても竹森満佐一先生。
私が加藤先生のお名前を初めて聞いたのは、竹森先生からでした。
日本クリスチャン・カレッジ1年生の秋(1958年)、米軍払い下げコンセントの図書館で、竹森先生が、『興文』(現『本のひろば』)に、ブルンナ−先生のことばを引用してお書きになった一文を読み心動かされたのです。間もなく、日本クリスチャン・カレッジのあった浜田山から吉祥寺教会を訪問。その時以来3年半日本クリスチャン・カレッジを卒業するまで、毎週の聖書研究会・祈祷会で、竹森先生の聖書の読みに触れたのです。その間目撃した、竹森先生が金沢で牧会なされていた、若き日の加藤ご夫妻について話される時の喜びがにじみ出てくる感のあの竹森先生の独特の顔を忘れることが出来ません。

 加藤先生に直接お会いしたのは、随分経ってからでした。2000年代に入ってからで、日本福音主義神学会の研修会における加藤先生の総合的な講演に対して、「愛の業としての説教」と題して応答した際でした(『日本福音主義神学における牧会』、いのちのことば社、2003年)。
応答を語りだす時、1958年来のことごとを覚え、いささか声の詰まる思いがしたことを覚えています、感謝。