沖縄の友から 月桃通信No3 2018年7月25日

沖縄の友から
月桃通信No3 2018年7月25日

★1982年、長男忍望が三重県の農愛高校に入学以来交流を続ける石原ご夫妻。
 私たちが、1986年4月沖縄本島へ移住後間もなく、沖縄西表へ移住。
私たちが2011年5月25年振りに関東へ戻る前、石原ご夫妻は、私たちの心のとも重元牧師ご夫妻と同じ沖縄本島の地域に移住。
 私たちの交流は継続、なお深まる、感謝。

  
石原艶子
弱さで闘う
    
ある日、パウロの言葉が私の心に〝ストン〟と落ちました。
「わたしの恵はあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。だからキリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害そして行き詰まりの状態であってもキリストのために満足しています。なぜならわたしは弱いときにこそ強いからです。」(聖書第Ⅱコリント⒓:9〜⒑)
辺野古新基地反対の、キャンプシュワブゲート前での座り込み抗議行動が始ってから何と、五年目を迎えました。信じられない程の時の経過です。最近、この座り込みの現場の中で私は「弱さで戦おう」と思うに至りました。後期高齢者となり、日々、体力の限界と弱さを実感する中にあって、もう強さや勇ましさで闘うことはとても出来はしません。若い仲間達(50〜60代)は、実に勇ましく抗議し抵抗して、機動隊の負担を重く大きくして、全身全霊、全存在をかけて戦っています。その姿を見て「スゴイなあー、とても真似出来ない‼」と唯々驚いている私です。然し、この勇ましさ、強さは、しばしば弱い者を巻き込み、弱い者は、しばしば危険な状態におかれてしまうことがあります。だから私は、強くて暴れる人のそばに居るのが怖いのです。4月23日〜28日とゲート前500人結集行動の時のことですが予想外の事態が起きました。座らないで立ったまま機動隊と向き合う中で前方の人が激しく押し合うので後の人は押し込められて、ある一人の女性が倒れました。その上に何人もの人が倒れ込み、胸を圧迫されその方は肋骨4本と鎖骨の骨折という重症を負われました。私と同年代の女性でした。実は私もこの時全く同じ様な状態で倒れ、頭を打ちましたが幸い、私の上に倒れてくる人が居なかったので助かりました。頭もコブだけで大丈夫で守られたとしか言いようがありません。そして強い人は「早く立て」とどなっても弱い者を助ける余裕はないことが分りました。初めの頃ですが、ある大先輩は、自分から歩くなんて屈辱的だと言われ、両手両足を持ち上げられごぼう抜きされていきました。然し、私は歩いたからと言って屈辱だとは思いません。もし、ケガをして家族に重荷を負わせることになったりしたら、座り込み行動を継続することも危うくなります。我が身は我が守らなくてはいけない。自己判断、自己責任なのです。一人の独立人として主体的に行動しているのですから、それは当然なことです。この四年間の行動を通して分ったことは「弱さで闘う」ということなのです。弱さの中にこそ、真に持続的な強さがあることに気付かされたのです。私は今、弱いままに、後期高齢者の一人として喜んでここに座り込んでいます。私の孫のような機動隊員に対して私は両手を差し出して〝立たせてね〟という態度を示すと彼等は私の両手を取って立たせてくれて、すごく優しく接してくれる。私を囲いの中には入れないで道路の向こう側へと、危なくないように見守っていてくれる。私の弱さが相手の優しい心を引き出すのだと分りました。孫のような機動隊員が私にはいとおしくてたまらない。こんな仕事を五年もさせられている沖縄の警察官達が哀れである。ここまでして強大な軍事基地を美ら海を生殺しにしてまで造る日本という国とは一体何ものなのでしょうか。誰のために造るのですか。何のために造るのですか。まともな答は返ってはきません。沖縄の民は、こうして今、国によって差別され、見捨てられているのです。人間の、日本人の愚かさが絶望的であることに言葉を失います。
私ばかりではない多くの仲間達が弱さの中で「新基地絶対反対」の意思表示をし続け、絶対に諦めない闘いをしています。人は弱さを知っている人こそは真に強い人ではないでしょうか。長く忍耐強く、粘り強い戦いを戦後73年も担い続けてきた沖縄の民は負けているように見えても、真の痛みを知っているからこそ、真に強い県民なのです。リーダーだった山城博治さんは五ヵ月余も拘留されて家族との面会も許されず、裁判を受け、病をも抱えて苦難の中に身を置き沢山の痛みを経験された方です。最近私達と共に座り込み、闘いの場に立って下さいます。山城さんは弱い人を見ると〝この人には乱暴してはいけないよ〟と言って弱い人をかばって下さいます。私達は人間としてここに生きているのですからどんな状況の中に置かれても人間でありたいと願います。激しく厳しい戦いの中に居ても人間は人間の心を人間の顔を決して失くしてはなりません。弱さは私に人間の真実を教えてくれました。こうして私は後期高齢者となった今を喜び感謝しています。

《現場から》
◎とうとう護岸がつながってしまいました。囲まれてしまった海は生殺しにされてしまいます。さんご、魚、貝、海草などさまざまな生きものはすべて神様が創造されたものです。

◎海ガメが漁港に入ってきました。(山木英夫さん撮影)
いつもの産卵の浜を捜してもたどり着けないからさ迷ってきたのかもしれません。海ガメさんは涙を流して人間の傲慢な罪を教えているのです。

本部町の塩川港から辺野古に船で運ぶ砕石や土砂の搬入を阻止するため、早朝からうるまの仲間達と抗議行動をしました。暑く過酷な現場は機動隊の若者にとっても厳しい現場です。次々とダンプから船に運び込まれていくのを私達はどうすることも出来ず無力でしたが、みんな精一杯ダンプ前に立ちはだかって抗議しました。熱中症注意を自分に言い聞かせながら抵抗し声を上げ続けました。

◎知事さんの「撤回」表明が間近ということで、11月の知事選に向って希望を持ち、現場では8月6日から2週連続集中行動、11日は県民大会です。防衛省は8月17日土砂搬入を明言しています。

防衛省が盗人のように夜の闇にまみれてゲート前に4メートルの柵を作り、水タンクで私達の座り込みの場所を囲ってしまいました。狭められた場所に追いやられた中でも私達は頑張っています。

地球が気候異変を起こし呻き苦しんでいる時に軍事基地など造っている時ではありません。人間は何故ここまで愚かなのでしょう。いよいよ人間の罪の故に生存が厳しい時代に突入したと思います。