脳梗塞ともう一つ、そこでも友との出会い、感謝

脳梗塞ともう一つ、そこでも友との出会い、感謝

★沖縄時代の脳梗塞発症、確かにビフォー・アフターと・分ける基点となるような経験でした。
 しかし、もう一つ沖縄時代全体を覆う病・躁鬱の経験があります。敬意する主治医中嶋兄に支えられ貴重な経験を重ねて来ました。
 一つの恵みには、同じような経験をした友との出会いです。以下の便りのように。

「宮村先生
 実は私も躁うつ病を患っています。双極性障害、という名前でもあるそうですが。
 17才のときに発症し、その後うつがひどくなり、高等専門学校を中退、何もできない2年間を過ごしました。
 その後の2年間は福祉関連のアルバイトをしました。22才から25才まではゴスペル音楽院という、教会音楽奉仕者の養成学校に通い、音楽を学んだ後、そこで出会った妻と結婚、直接献身を志し、二年前にTCUへの入学が許されました。
 このようなものに、こんなにも素晴らしい神学教育を受ける機会が与えられていることに心から感謝しています。

 18才のときに主イエスを信じ、救われてから、主は私が病気のときもいつも共にいてくださり、その病さえも用いて私を成長 させてくださいました。自分のアイデンティティが全て失われるような状態の中で、「自分は主に愛されている者だ」との確信が与えられたことは私の信仰者、また献身者としての原点になっています。
 結婚後、服薬はやめることができ今は薬なしでなんとかバランスを保っています。しかし、時に躁の状態になりやすく祈らされます。
このことも主は私の益としてくださることを信じながらになりますが。

 先生のエッセイを読ませていただき、私のことも知っていただきたくなってしまい、少し書かせていただきました。

 「聖書的立場、つまり聖書を誤りのない規範と認める立場」に信徒の方が立てるように、毎週み言葉を語ることが牧会ということかと教えていただきました。聖書という基盤にたち、お一人お一人がそれぞれの持ち場で輝けること、聖書というメガネを通して世界を理解し、そこで主の栄光を放てる存在となることが牧会の目標の一つ、ということでしょうか。

 先生の「喜びかたつむり」としての歩みが増々豊かなものとされますように。

貴重なエッセイをありがとうございました。
主にあって」