『長崎殉教』オラトリオ、今まで、この度、そしてこれから 2002年4月15日(南部教役者、月例会)

『長崎殉教』オラトリオ、今まで、この度、そしてこれから
2002年4月15日(南部教役者、月例会)

すでに帰天された天田先生とは、同年齢であったこともあって、キリスト学園の教授会でも特別に親しい交わりを重ねていました。
 1986年4月私たちが沖縄へ移動しいても、、私たちの交わりは継続されたばかりでなく、深められ広められました。その一つの表れは、天田先生作曲の『長崎殉教』オラトリオ沖縄公演を、理想的な会場・佐敷のシュガーホールで二日間持つことが出来たことです。今なお忘れがたい感謝な思い出です。以下は、その時の報告のレジメ。

[1]序
 企画の基盤、内なる備え
(1)「からだをもって、神の栄光を」
?コリント6;20、「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現現わしなさい」。
 主ご自身の尊い元手のかかっている者として、自分自身をまた他の人を見る。

(2)殉教が特別なことでないと受け止めらる神学と生活・生涯。

(3)天田繋先生との交わりと理解
 オラトリオを作曲出来る作曲家として。

(4)第4回伝道会議の批判的継承
 無教会からローマカトリックまでを視野に聖書的エキメニズの提唱。

[2]今回のオラトリオ演奏会
 基本、「始めは小さく、計画は大きく」(A.シュラッター)
(1)若い世代を中心とした実行委員会(委員長城倉翼先生)と経験豊かな顧問団

(2)県立芸術大学の学生、卒業性を中心とした出演者
天田先生以外、本土から出演者を招かない。
 宣教の理念とスピリット。教会と大学の関係理解の一つの実例として。

(3)火災事故にあわれたフィリッピンの教会への献金・支援金
 地域に根差し、地域を越える教会として、アジアの教会との深い、広い交わり。

[3]これから
(1)今回の出演者で、長崎での上演
当時のカトリック沖縄教区主教を訪問、幸いな説明の時を持ったが、見果てぬ夢に

(2)オラトリオ『琉球・沖縄』−歴史の中での福音宣教、歴史を形成する教会−、沖縄の教会から沖縄県民へのプレゼント
 これまた、天田先生とは、個人的に話し合い思いを深め続けたが、見果てぬ夢

(3)沖縄の二つの宝・県立両大学、沖縄の教会が大学のため祈り続ける。まず十年、やっぱり三十年は。二人、三人で。

[4]結び
(1)豊かな漁場を求めて、山に木を植える漁師の方々に学ぶ。
   沖縄全高校のための祈りのネット・ワーク。

(2)からだ、物質を軽視、無視するグノーシス主義に対して、聖書の終末論の宣教とそれに従う生活・生涯