牧会者としての歩みを顧みて
★沖縄時代の後期に、若い世代の牧師方の求めに応答して
牧会者としての歩みを顧みて
[1]序
(1)今回,小さな者の歩みを牧会者としての歩みとし顧みるとき,埼玉県寄居の寄居キリスト福音教会,青梅市の青梅キリスト教会,そして今沖縄にあって,首里福音教会と場所こそ変わっても,一貫しているものがあるとすれば,カルヴァンが『綱要』の序にあたる,「カルヴァンより読者の皆様へ」の最後に引用しているアウグスティヌスの書簡のことばをもって言い表すことができると理解します.
「わたしは進歩しつつ書き
書きつつ進歩する人のひとりであることを告白する」
私は,これを「・・・つつの神学」と読んでいます.
この点から,今までの,今の,そして今からの歩みを通観します.
(2)入信と学びの場
入信がアッセンリー教会を通してであること,当時の小岩アッセンリー教会は,現在では考えることのできない.高校生の活躍の場であったこと,同時に高校では,聖研に属したこと.そのいずれにおいても,文書を通しての証しが重んじられたことは,今思えば,牧会のための良き備えでした.
資料1,2.
一般の大学に進まず,日本クリスチャン・カレッジに進んだことも摂理的な導きだったと思います.基本的に自分で読んで,自分で考え,書く道を歩み出したのです.
資料3,資料4
[2]今まで
(1)寄居キリスト教会と『月報』
資料5
その背景にあったこと.
(2)青梅キリスト教会と『礼拝の生活』
資料6
月単位から週単位.
依頼原稿や神学校でのクラス,著作のすべてを青梅キリスト教会の牧師として,教会の講壇で話さないことは,他でも話したり,書いたりしないように努力.
もみの木幼児園で、「存在の喜び」の経験
[3]首里福音教会と『首里福音』
話した後ではなく,話すと同時に手元に.
伊江島キャンプ
視点と視野
[4]結び
今からの歩み
主の導きを求めつつ,5年を単位に.