『ローマ人への手紙一、二、三』 ロ−マ1章1−4節、11章36節−12章2節、16章1−2節  2012年2月19節 那覇聖書研究会

『ローマ人への手紙一、二、三』
ロ−マ1章1−4節、11章36節−12章2節、16章1−2節
 2012年2月19節
那覇聖書研究会

[Ⅰ]序
(1)主の御名を讃美いたします。
 昨年5月、25年ぶり関東に戻りましたところ、「おかえりなさい」とのことばを自然な雰囲気で受けました。
 今回沖縄に参りました際も、同じく「おかえりなさい」とのことばを自然な雰囲気で受けました。
 昨年11月、千葉市川での無教会全国大会で再会した際、何とご挨拶を交わしたかをか思い出そうとしました。

(2)とにかく私たちのまじわりの土台は、聖書。
 今朝、この主日礼拝において、時間の制約の中でも、ロ−マ1章1−4節、11章36節−12章2
節、16章1−2節を味わいたいのです。


[2]ローマ人への手紙一、ロ−マ1章1−4節
(1)手紙、発信人パウロ
パウロの明確な自覚
「神の福音」を宣べ伝える使徒、キリスト・イエスの「しもべ」(1章1節)。
ダマスコ途上で、復活のイエス・キリストとの出会い。
 パウロの自覚は、自分は「使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。」(Ⅰコリント15章9節)。
 そのような自分に対する圧倒的な神の恵み。それこそ、復活の主イエスとの出会いであり、福音の宣教への召し出しです。ガラテヤ1章11−17節。
 その召しに応答する、パウロの生活・生涯。

(2)手紙の主題、福音、御子に関する。
 「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(Ⅰコリント15章10節。

 このような神の恵みの事実の中から、ロ−マ人への手紙は書かれたのです。
手紙のはじめに、主イエスの復活の事実がすべての基盤であると明示。
「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、
大能によって公に神の御子として示された方、
私たちの主イエス・キリストです。」(1章4節)。

(3)主イエスの復活のゆえに、この祈りの恵み
ロ−マ1章1−4節、ローマ人への手紙全体の基盤。例えば、8章14−27節

[3]ローマ人への手紙二、ローマへの手紙11章36節から12章2節
(1)礼拝の生活
 12章1節の「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。・・・」とのパウロの神の恵みにしっかり根ざした励ましの呼びかけに意を注ぎ、ローマ人への手紙全体の構造・組み立てを大きく見通し、大きく三つに分けることができます。
①1章から11章まで。神の恵み(本当に豊かな!)の内容をパウロは明示しています。
礼拝の生活の基盤です。

②12章1節から2節まで。神の恵みに応答する者として生きた献身。
狭い意味の献身ではなく、広く豊かな献身です。礼拝の生活の源泉です。
 
③12章3節から15章13節まで。献身の現われである日常生活。礼拝の生活の家庭・教会・社会における現実。 満ちています。

結びの15章13節、なんとも底に撤した励ましです。
「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」
 
(2)ローマ11章36節
以上のような手紙の全体の流れ、また直接な前後関係を考慮しながら11章36節を味わう必要があります。

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」

 ローマ人への手紙9−11章までは、イスラエル人と異邦人の救いの課題に集中しています。聖書の中でも、神の救いの御業について最も深く掘り下げている箇所の一つです。
神の救いの御業、救いの歴史を熟慮しながら、パウロは、
「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測りがたいことでしょう。」(11章33節)との思いに満たされているのです。その深い魂の奥底からの感動の中から、
 「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(11章36節)。との讃美がほとばしり。
この短い讃美、礼拝の言葉は、聖書の中心メッセージを実にはっきりと要約し、表現しています。私でも暗記できるほどです。
 唯一の、生ける、真の神との生きた関係で、すべてのこと・万物を位置づけています。
万物は、その起源(神から発し)、現在の保持(神によって成り)、終末的目的(神に至る)を、唯一の、生ける、真の神にのみに持つとパウロは宣言しています。確信に満ちています。
 唯一の、生ける、真ののみを礼拝する一点で、全く鋭く一切妥協のないものです。
しかし同時に、万物全体を神との関係で見る、実に雄大で豊かな暖かい生き方を指し示しています。このように神礼拝のうちに、徹底的に神中心の思想と生活の基盤を見出して行くことは、重要な礼拝の営みです。

(3)からだをもって
 11章36節から12章1節への移行は、急転直下とでも言いたい程のものです。
万物の関係で、唯一の、生ける、真の神の栄光を讃美する。この神以外のなにものにも心を奪われない一点から、ローマの教会の一人一人に目を注ぎ、「兄弟たちよ」(12章1節)と呼びかけています。そうです。主イエス・キリストにあって、神を父と呼ぶ恵みにあずかっている仲間のこの人、あの人に心の目を向けています。
 そして神の恵みに感動しながら、
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖(きよ)い、生きた供え物としてささげなさい」(12章1節)と心のこもった勧め、慰めの言葉を伝えています。それこそ、なすべき「霊的な礼拝」(12章1節)なのですから。
 
 ここで、「こらだ」とは、人間・私の全存在という意味です。
ですから、からだをささげる全き奉献(ほうけん)とは、全生活・全生涯が自己中心(野獣のように)の状態ではなく、自己から解き放たれ、神と人のために生きよとの呼びかけです。そして自己中心の悪霊の縄目からの解放は、すべてのことが神から、すべてのことが神によって、すべてのことが神に至る事実、恵みの事実に目覚めるとき実現するのです。
Ⅰコリント6章19節、20節、
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」
さらに神とすべてのこと・万物との正しい関係を知らされた者として、神から神によってなる自分の生活全体、全生涯を神にささげる、これがあるべき本来の「霊的な礼拝」(12章1節)なのです。このように、礼拝と生活の二本立てではないのです。どこまでも礼拝に根ざす生活です。生活のただなかでの礼拝です。そうです。礼拝の生活です。礼拝と生活は、本来全く一致するものです。この事実を、礼拝の生活と呼びたいのです。
 神のために生きるとは、現実の生活にあっては、他の人のために生きること以外ではなく、その方法は、実に多様なものである事実は、12章3節以下でパウロが明らかにしています。その多様なあり方は、「心の一新によって」(12章2節)現実になって行きます。
そして「心の一新」は、神の恵みの事実に全存在を集中し自己中心から解き放たれ、「いのちにあって新しい歩みをするためです」(6章4節)。

[4]「よろしく」に生きる、ローマ16章1−2節
16章1−16節に意を注いで行きます。
この箇所では、15章までにパウロが教えてきた福音を実際に生きている、生身の人々が登場します。
 1、2節と3−16節に分けて、味わいましょう。

(1)16章1−2節執事フィペ、助ける者・助けられる者
①一群の人々の最初に、フィベを推薦、紹介。
②港町ケンクレア教会の執事、ローマ人への手紙を携えローマへ向かった可能性。
③フィペ、二重の役割。助ける。助けられる。
   今まで、パウロを含め、「多くの人を助け」てきた、しかし今は助けを必要とする可能を持つ。さらに今後は、他の人々に助けられた経験を持つ者として、なおも与えられた使命を果たしに行く姿を見ないでしょうか。
    この手紙が書かれたと考えられるコリントの町、そこにいるパウロの協力者と
手紙を受け取る人々のいるローマ。その間を結ぶ、ローマ人への手紙。
その手紙を携えコリントからローマへ旅したと考えられるフイベの役割。
異郷の地にある彼女のために配慮を払うパウロの姿を見ます。みな生身の人間です。
 参照ロ−マ12章15節、
  「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」

(2)
(1)集中
 「よろしく」との一言にかけるとき、心のうちに抱かれている驚くべき内容。
ローマ1章から15章で語り継ぎ、解き明かしている福音のすべてが、
小さな「よろしく」に込められています。
「よろしく」に、パウロは、福音の全体を集中し、心をこめているのです。
まさに「よろしく」に生きています。

(2)展開
 小さな挨拶のことば。
なにはできなくも、私にも許されている挨拶のことば。
そして私たちの小さな挨拶のことばが、主の恵みの御手の中で、恵みの波紋として、人の心の中で、この世の現実の中で、静かに広がって行きます。
人々の目には目立たなくとも、私たち自身でも見逃してしまう中で、私たちの挨拶のことばが福音により味付されたものとして、今週も一人一人を通し、また群れ全体を通して、静かに確実に広がり、浸透(しんとう)して行きますように。
私たちのあいさつのことば、
電話の会話、たとえば私・宮村の携帯電話、祈りの絆のため活用。
手紙もメールも、何よりも祈りが、主の御手の中で恵みの波紋と。祈りましょう。