『キリストのくびき、その軽やかさ』 マタイ11章25-30節  2010年9月26日 名護チャペル

  『キリストのくびき、その軽やかさ』
マタイ11章25-30節
 2010年9月26日
名護チャペル

「1」序
(1)名護チャペルに於けるマタイの福音書の味読の2回目、先回のマタイ1章1節に続いて、有名なマタイ11章28節を含む11章25-30節

(2)マタイ11章25節-27節と28節-30節の密接な関係

[2」11章25-27節、主イエスのほめ歌
(1)「そのとき、イエスは言われた」(25節)
直前の24節までと鋭い対比で、強調した表現です。「天地の主であられる父」(25節)、天地の創造者、歴史を導かれるお方に対しての賛美です。
賛美の根拠は、「みこころ」を知らされているから。その内容は、25節後半と26節。
「これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」

(2)27節、父なる神と主イエスとの、他に比べることの出来ない深い交わり。
主イエスご自身を通して、私たちは父なる神を知り、信じ仰ぐ。
マタイ11章27節「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。」

[3]11章28-30節、二つの恵み
25-27節に見る、主イエスご自身について明らかにされていること(キリスト論、恵み)と、28-30節に見る、キリストのくびき(恵みへの応答・使命)は、深く結びついています。
(1)主イエスの招きと約束、28節
マタイ11章28節「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
① 「わたしのところに来なさい」、招き
 創世記3章9節、「神である【主】は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
聖書全体を貫く父なる神なる神の呼びかけ、主イエスご自身、聖霊ご自身の呼びかけ。
三位一体の神は、呼びかけの神、愛の交わりの神。

②[すべて」、例外なく。
(2)「わたしがあなたがたを休ませてあげます」、約束
他の何者でもなく、このわたしがと強調。
「休ませてあげます」、一方的な、無代価な恵み。しかしそのために、主イエスの貴い犠牲・代価が支払われたのです。

[3]もう一つの招きと約束、キリストのくびき、29、30節
(1)もう一つの招き
 「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」
キリストのくびき、主イエスと私たちを固く結ぶもの。

(2)もう一つの約束
28節に見る、「わたしがあなたがたを休ませてあげます。」だけでなく、
休み止まりでなく、もう一つの招き・恵みへ名護チャペルの一人一人が前進を。
ピリピ1章29節
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」

そして確かな約束、その内容・意味を心に刻む。「そうすればたましいに安きが来ます」
約束の保証・証拠、
「わたしは心優しく、へりくだっているから」(29節)
「わたしのくびきは負いやす・ここちよく、わたしの荷は軽いから」、(30節)

[4]集中と展開
 キリストのくびきを担うとは、恵みに応答する恵み、
Ⅰコリント15章10節。キリスト者・教会の喜びの源泉です。
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」
(Ⅰ)集中
「神の恵みによって、私は今の私になりました」、神の恵みの事実に集中。

(2)展開
「私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」