市川治平元大佐(陸士三七・陸大四九)、わが伯父と私 その4 、「法然頭の武夫は」
市川治平元大佐(陸士三七・陸大四九)、わが伯父と私
その4 、「法然頭の武夫は」
市川伯父は、とても子供好きで、幼児の頃から私も大好きでした。
私の幼い時期、3、4歳頃のかなり鮮明な記憶の一つは、伯父の軍服の胸のところに参謀であると示すひも状の飾りがつけられていたことです。どうして、そんなことが記憶に残っているのか、面白い現象です。
しかし、何と言っても一番鮮明な記憶は、伯父が教えてくれたジェスチャーゲームです。それは単純なもので、額を叩くと舌が出、顎を叩くと引っ込む動作の連続です。伯父は、その単純な動作を、実に絶妙なタイミングでなすので、私はすっかりとりこになって、何回も何回も伯父を真似て、その動作を飽きることなく、繰り返しました。
そうです。あの時から70年近く経過した3年ほど前、2月に訪問した名護チャペルの保育園で、説教の中あのジェスチャーゲームを演じたのです。
驚く程の反応でした。70年前の私同様、子供たちは、同じ動作を繰り返したのです、何回も何回も。
市川伯父を、「兵隊おじちゃん」と呼んでいました。
あの時代、多くの子供が、「兵隊さんになりたい」と言」っていた中で、私は、あんなに伯父が大好きなだったのに、「兵隊さんになりたい」とか、「兵隊おじちゃんのようになりたい」とか、一度も言った覚えがないのです。
どうして、そうだったのか。
一つ心当たりがあります。市川伯父は、私が赤ん坊の時から、「武夫の頭は、法然頭」、「法然頭の武夫は仏教の道へ進めばよい」と、しばしば母に言っていたそうです。
母典子は、長兄の市川伯父をとても深く敬愛していました。それで伯父の言葉は、私の育児方法に影響したと推察します。
伯父の「然頭の武夫は」を側面から補助する一人の人、一のことを母から聞いていました。
赤ん坊の私を連れて電車に乗っていた時、前の座席に座っていた老婆が、母のもとに来て、「この赤ん坊は、宗教の世界に進む人、大切に育てなさい」と語ったのです。
2週間ほど前、TCUの大和先生に、久しぶりで電話を掛けました。
「法然頭」の正確な意味を聞くためです。