『芦屋浜通信』第152号2017/12/11 藤原信之
『芦屋浜通信』第152号2017/12/11 藤原信之
☆1958年4月、日本クリスチャン・カレッジの1年生の時入寮した4人部屋の3年生、藤原兄の父親は、土建業藤原組の責任者、母親は、戦時中にキリスト信仰へ。
私の父親の生き方を、藤原兄は早くから私以上に深く理解してくれていました。父親は、30代で常磐の中小の炭鉱の経営者、家業の石炭販売から重油業へのかじ取り。
私は、30代になって、真に父親を理解できるようになりました。
★イエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。①
《神の言葉は耳にした時、実現している》
戦時中、父は軍属で飛行場建設監督としてシンガポールへ派遣されていた。毎月送金されていた給料は4年間、母の手元に届かなかった。
長男は海軍、次男は予科練、三男の私は6歳、2歳の妹、10歳の姉を抱え、4年間収入がなく、家財道具など売れる物は売り尽くし、住んでいる家を売りたくても、不動産を買う人などいなかった。
途方に暮れた母は、乳母車に妹、姉と私を連れて歩いていたとき、姫路福音教会の路傍伝道に出会い、初めてイエス・キリストの言葉を耳にした。
「すべて労する者、重荷を負う者、我に来れ。われ汝らを休ません。…」②
このイエスさまの言葉を聞いて「休ませてもらえるなら…。重荷を軽くしてもらえるなら…」と伝道隊について教会へ行き、伝道集会でさらにみ言葉を聞いた。集会後、「続いて教会に来ませんか」との牧師夫人の言葉に、「教会に来たいが、教会に来るには、いくらお金が必要ですか」と聞くと「教会に来るのにお金は必要ありません」と聞いて、教会に通い続けた。
家は空襲で焼失し、その後どのように生活してきたのか、裏の畑から小判が出たわけでもなく、幼かった私には定かではないが、不思議にも守られて終戦を迎えたようです。
イエスさまの約束の言葉は、路傍伝道で母が耳にしたとき、実現(成就)していたのです。
戦後、集会ができる家に住んでからは、家庭集会をするようになり、困窮している人に出会うと「イエスさまを頼ってごらんさい。私のように救われますよ」と家庭集会や教会に誘っていました。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
③
時には、キリスト信者に「なぜこんな事が?神の御心とはとても思えない」事が起こる。
ダビデが王に選ばれた時もそうだった。
神は、神に背く初代の王サウルを退けて、ダビデを二代目の王として選ばれたが、ダビデはサウル王に命を狙われる羽目になり、「気が狂ったのだと見せかけ、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったり」④して、敵方の領土に逃げ込み、両親は次の言葉を添えてモアブ王に託した。
「神が私をどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたのもとに行かせてください。」⑤
人間には全てを見通すことはできないが、神には神のお考えがある。ダビデはイスラエル歴代で最も偉大な王として用いられた。
「主のよき力に、不思議にも守られて、
私たちは、来るべきものを安らかに待ち受けます。
神は、朝に、夕に、私たちと共にいるでしょう。
そして、私たちが迎える新しい日々にも、
神は必ず、私たちと共にいるでしょう。」⑥
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索引
① ルカ4:21
② マタイ11:28
③ ルカ4:21
④ マタイ11:28
⑤ サムエル上27:7
⑥ D.ボンヘッファー 強制収容所内より