民数記味読・身読の手引き その28 民数記28章 

民数記味読・身読の手引き その28 民数記28章 
民数記28章

(1)28,29章,いけにえに関する規定
27章まで,人口調査,軍隊の編成,土地分割の準備,氏族に男子がいない場合の土地相続,モーセの後継者などについて備えがなされた.

 新しい世代のイスラエルの民が約束の地で,神の民としてどのように礼拝の生活をなすか,時の流れの中での実際的な勧め.参照レビ23章.

 私たちの礼拝の生活で、基本、詩篇31篇15節。

(2)時と共に変わるものと変わらないもの.
旧約聖書の中で,礼拝の形式が時と共に変わっている面があるのは確か.
たとえば荒野の時代と約束の地に入国後.約束の地でも神殿建設の前と後.民の罪の結果による神殿の崩壊前と後.しかし形式が変わっても根本を支える一貫して変わらない礼拝の原理とも言うべきもの.
①聖なる神の御前に,罪人が出るためには仲保者

②祭日は単に過去の出来事を記念するだけではない.
例えば過越の祭りは,出エジプトの出来事を導かれた同じ神が、今現に、ここで出エジプトの恵みをもって導いておられることを記念.

(3)1ー8節が基本.
2節,「定められた時に」,毎日,朝と夕.礼拝の生活は,24時間.
それと共に,時を聖別して朝と夕.定められた時,
これは私たちの弱さに対しての恵みの配慮.内容は,出エジプト記29章参照.

 この朝夕の礼拝が生活の基本.一人のキリスト者にとっても,教会全体にとっても,各自の日々の礼拝(日常生活と生涯)が基盤.

 その基本とかかわりで,9節,安息日.週に一度.11ー15節,月に一度.さらに,16節,特別な日.第1の月と第7の月に集中.
 私たちについて,言えば春と秋の教会総会.人の弱さを知る神は,絶え間のない日々の歩みと特別な時と日.この恵みのバランス.
しかし基本はやはり一日一生. 

(4)「・・・加える」,10,15,23,24,31節.
 安息日には,毎日の犠牲,献物に加えて.安息日の礼拝にも,毎日の礼拝をしないで集まるのでなく,朝夕の礼拝に加えての原則.この点を繰り返して強調している事実を注目すべき.

 この原則・原理は,例えば牧師とても一キリスト者であることをやめたわけではない.牧師になっても一信徒としての責任がなくなったわけではない.神学校に入った時点から,この基本を誤解する危険性がある. 教会学校でも,教師は一生徒である側面を見失わないよう注意する必要.私たちの問題は一生徒として聞き従うことを忘れ,教えること,マタイ7章22,23節.主イエスの贖いによって救われる罪人,どんな奉仕をしたかではない.救いの原点に立って一人の人間としての奉仕.

 安息日も特別な日も一日.牧師も教師学校の教師も,十字架の御前に泣き崩れる罪人,罪ゆるされた罪人.「・・・加えて」は「・・・代わり」ではない.讃美歌300番,4節.