1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その4

1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その4

「頌主
 今、ニューヨークのJFK空港です。予定より30分以上早く、つまり朝5時半前に着いたので、乗り換えまで1時間半あります。ボストン行は、7時出発です。気温の違いがはっきり分かります。

 ホノルルでは、リッチ夫妻のほかに、影山夫人とハワイ大学の卒業生で、インターンとして影山先生と一緒に働いている原田さんが見送りに来てくれました。ハワイ名物のレイを幾つも首にかけもらったり、キスされたり、あまり目立ったので、少々はずかしい経験をしました。
 空港への途中、パットに案内してもらい、ムウムウ1着分(4ヤード)買いましたので、楽しみに。
 ロスアンゼルスに無事着きました。12時にホノルルを出発、簡単な昼食をとり、4,5時間後、ロスに8時に着いたのです。時差の関係で、どんどん時間がずれ、夕食らしい夕食がないのが残念でした。
 飛行機の乗り換えの時に、預けた荷物がどうなるのかはっきり聞いておかなかったので、大韓航空の窓口に行き、にもつについては心配しなくてもよいことを確認しました。そこまでは、まず問題がなかったのですが、TW航空のニューヨーク行の乗り場がものすごく離れており、多少不安になるほどでした。とにかく手続きを終え、バーカー先生のところに電話したところ、先生はお留守で、奥様とだけ話が出来ました。とても喜んでくださいました。
 バーカー先生は、レキシングトンGrace Chapelの最初の牧会者であり、ハワイでリッチたちの所に寄って来たばかりなので、電話での話がすっかり長くなってしまいました。君代の日常生活の様子をあれこれ聞いて下さいました。
 電話を終え、飛行機の搭乗口で待っていると、若い日本人が話しかけて来ました。彼は、アメリカの野球を見に来たそうです。フィラデルフィアに行き、それからニューヨークに、ワールドシリーズを見に行くそうです。ホテルも何も予約しておらず、どちらのチームが勝つかで、次の試合が開催されるどこになるか決まるそうです。とにかく試合を追っかけているのだそうです。あきれたリ、驚いたりです。
 いよいよ飛行機に乗り込もうととすると、受付で間違った搭乗券を手渡していたことを彼が気付いてくれました。大急ぎでもう一度受付に行き、正しい搭乗券をもらって乗り込んだのが、10時10分前というわけです。
 今、6時過ぎましたので、受付が開くでしょう。では、また、武夫より。

★ハワイからアメリカ本土東部への旅行についての手紙を読みながら。リッチと一緒に寮生活していた時の話題になったことを思い出しました。
アメリカ本土の東部から西部までの距離と、アメリカ西部から日本までの距離(つまり太平洋の広さ)の比較について二人持っていた感じの食い違いです。
 リッチは、東部から西部の2倍で、西部から日本につけると感じていたというのです。
 私は、太平洋は途方もなく広く、少なくともアメリカ大陸の幅の10倍以上だと感じていました。
 実際は、1対3と聞いて、リッチも私も、「ヘーそうか」との思いでした。