敬愛する大和TCU教授とのメールの交換

敬愛する大和TCU教授とのメールの交換

小林学長の召天の報に接する中で
☆大和教授→宮村
「 宮村先生
いただいたお手紙に返事を書かなければと思っておりました。もうしわけありません。

 お聞きになっているかと思いますが、小林高徳学長が米国出張中に心筋梗塞になり、そのまま10月24日に召天されました。
 学生教職員、ショックと受け止めきれない思いの中にあります。
 大学葬になりますが、来週以降になりそうです。
 以下は大学HPに出している広報です。どうぞお祈りください。

 大和

小林高徳学長 召天(2017.10.25 19:27更新)
本学学長の小林高徳は、アメリカ出張中10月23日(日本時間)に心筋梗塞で倒れ、集中治療室で治療を受けていましたが、10月24日21:30(日本時間)に召されました。
小林学長の今回の米国出張は、一週間の予定で、アジア神学協議会の加盟学校の資格審査と本学の協定校であるバイオラ大学訪問のためのものでした。その間の主日に本学卒業生が牧師をされている現地教会の礼拝に向かうタクシーの中で発作を起こされました。その牧師と同窓生が緊急の対応をして下さり、救急車で搬送され集中治療室で緊急救命措置を受けていました。日本からご家族と本学教員が駆けつけましたが、到着前に容体が急変して召天されました。ご家族のためお祈りください。葬儀等については、決まり次第本学ホームページにてお知らせいたします。
Dr. Takanori Kobayashi, President of Tokyo Christian University, has passed away at 9:30 p.m. on October 24th (Japan time). He had a heart attack during his US business trip on October 23rd (Japan time) and was hospitalized. He was scheduled to examine accreditation procedures as a chairperson of ATA (Asia Theological Association), and as the TCU president he also visited Biola University, one of TCU’s partner schools. Dr. Kobayashi suffered the attack in a taxi on his way to a church ministered by a TCU alumnus. He was taken to a hospital by ambulance with the help of TCU alumni attending the church, and received emergency treatment and intensive care. His family and a TCU faculty member flew to LA to meet him, but he had sudden changes in the condition and breathed his last before they arrived.
Please remember his family in your prayers. The schedule of his funeral will be announced on TCU’s website later.」

☆宮村→大和教授
「大和ご夫妻
頌主
 悲しみと動揺の中にも、メール感謝します。
ハイ、小林先生のご召天、早い段階で伺いました。
ハイデルベルク信仰問答の「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰め」が、改めて心に刻まれます。
この際、生涯を通し教えられられ続けて来た信仰問答を、小林先生を記念して通読したいです。
 私の心に、静かで確かな慰めがある、もう一つの助けは、小林先生が私の著作のために書いてくださった、勇気のある誠実な書評を反復味読・身読できるからです。

 広報の記述ありがとうございます。
ご遺族、学園のために祈ります。
忍耐と希望(ローマ8:25)宮村武夫・君代」

★小林高徳学長の『本のひろば』誌上の書評

宣教のことばは、会衆の魂を養う牧会の業

宮村武夫著
ヨハネに見る手紙牧会
−その深さ、広さ、豊かさ
宮村武夫著作8

小林高徳

宮村武夫先生の説教集を読むと、神のみことばを生きようとする熱いこころに触れて、魂の震撼を覚える。それは、終末における完成を視野に入れつつ、みことばを「今ここで」教会の礼拝において聴き、それに従おうとする説教者の教会への愛が紙面からにじみ出るからに他ならない。
神学校で先生から受けた聖書解釈学の授業は、評者には救済論的意義があった。歴史的・文法的聖書釈義の方法論を学んでゆく中で、「かつて、あそこで」書かれた聖書の今日的メッセージを読み取ることが困難になっていた。そんな時、ゲオハルダス・ヴォスの著作を教えられた。旧約と新約をつなぐだけでなく、歴史上過去のテキストと読者の現在をつなぐ聖書神学的救済史の視点は、「今ここで」聖書のみことばを読むことを可能にしてくれた。宮村先生の説教は、30年前に伺った同じ原則に貫かれている。
本著は、沖縄の首里福音教会でなされたヨハネ書簡からの主日礼拝説教集である。2000年アドベントから2001年10月末まで、礼拝において語られた神のみことばが、キリスト者・教会において受肉してゆく。「今、私たちはIヨハネを、主日礼拝ごとに読み進めています。その目標の一つは、兄弟愛を私たちの心や生活に、そして生涯に刻み付けて頂く、この一事のためです。」(63頁)この明確な目標の下に、ヨハネの手紙第一の綿密な講解説教が続けられている。キリストの受肉と十字架の死と復活による福音を蔑ろにする誤った教えと闘い、互いに愛し合うことでキリストの愛の現実を、父なる神とキリストとの交わりの豊かさを示そうとしたヨハネの意図が紐解かれてゆく。
宮村先生の説教は、堅固な釈義を土台とし、ブレがない。それを、理路整然と、しかも簡潔に、会衆に届くようにとの配慮がにじみ出る。一週間の戦いを終えて集った信仰の群れを、みことばによって慰め癒し、これから一週間の戦いに出てゆく一人ひとりをみことばによって整え、励ます牧会者の姿がそこにある。「私たちはひとりひとり、それぞれの一週間の経験を身に帯びて、この主日礼拝の場に導かれ……<中略>……またこの礼拝の場から、主なる神が派遣してくださる持ち場・立場へと進み行き、派遣された場で礼拝の生活を継続」(256-7頁)する。宣教のことばは、会衆の魂を養う牧会の業なのである。
紡ぎだされた説教には「宮村節」とも呼ぶべき珠玉の表現があふれている。「聖霊の助けに導かれ、祈りを通して、神の言葉・聖書が心、生活、生涯に決定的に刻まれ、実を結ぶ。若者だけでなく、この私も。」(71頁)「祈りは仕事、大きな仕事であること」(165頁)。「聖書に基づき、主なる神の言い分、ご意志に従うのです、神の恵みから自分を見るのです。」(139頁) 、等々。それにしても、「恵み」への言及がなんと多いことか!「福音を述べ伝える恵み」に「各自を根底から支える恵み」。「一方的な神の恵みにより選ばれ、導かれている」との述懐。まさに、「恵み」のオンパレード。講解最後も、「父、御子、御霊なる神の愛の交わりに与る驚くべき恵みの提示、これが福音、喜びのおとずれです。」(260頁)と、第1ヨハネ全体を「恵み」に集約する。神の恵みに依り頼むキリスト者をそこに見る。

本説教集の根底にあるのは、神のみことばと聖霊による教会形成と改革という宗教改革に由来する原則。その信念に立ち、「聖書と矛盾する聖霊の教えなどない。」(240頁)と喝破する。ヨハネ書簡を、ヨハネ福音書が引き合いに出されるだけでなく、他の関連する聖書箇所を多く用いて解釈が進む。聖書を(他の)聖書(箇所)によって解釈することが実践される。

ヨハネの手紙第二・第三の講解説教に加えて、巻末には、遠藤勝信氏との間に交わされた、神のみことばからの説教についての真摯なやり取りが載せられている。
本書は、個人での学びと黙想のために、聖書の学び会のテキストとしても有益だ。特に、説教による牧会を試みる説教者にお勧めしたい。「恵みのみ」「聖書のみ」「信仰のみ」の原則に貫かれた、人となられた神のみことばなるキリストとの生きた交わりが、そこにはある。
日本長老教会神学教師、現東京基督教大学学長)
(四六判・三二四頁・一八〇〇円+税・ヨベル)