1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その1

1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その旅先からの手紙 その1

★1977年10月、ニューイングランドの留学から10年、沖縄へ移住前10年の時点に、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。その際書いた手紙を通して、70年代さらにこの50年を回顧し、同時に2017年の現状を聖書をメガネに受け止め、これか10年を展望する小さな営み。

☆第1便
「頌主
 羽田からの帰りはいかがでしたか。遅くなったので、案じていました。
 私の方は予定より30分以上遅れてしまいましたが、無事ホノルルに着きました。リッチとパリ(ワイゼンバッハ夫妻、リッチはゴードンの神学生寮ルームメイト)が空港に迎えに来てくれていましたが、出口が二つあり分からず、電話をかけようとしているところで、会うことが出来ました。  
 二人とも少しも変わらずすこぶる元気でした。リッチが主任牧師のカリヒユニオン教会は、4百人以上会員の80から90パーセントまでが日系人で、ホノルルでも大きな教会の方に属する様子です。
 空港から、病院訪問、執事との面談などリッチの予定に従い一緒に行動した後、夕食は、日本語部担当の影山先生ご家族がリッチ宅にいらして、皆で一緒に楽しい時を過ごしました。
 リッチの家族へのお土産皆とても喜んでくれました。特にすっかり大きくなったキムと初めて会うダビデは大喜び。ダビデは何回も何回も、けん玉を繰り返し、かなり上手になりました。今朝は学校へけん玉を持っていきました。
 日本におられる頃から存じ上げていた影山先生は、ロスアンジェルス行を一日延ばして下さり、交わりの時を楽しみにしていたそうです。奥様は、英語がなかなか上手になれず、一年たった今も苦労しているそうです。しかし、とにかく明るい方で、リッチたちとも主に在る交わりを深めている様子です。
 影山先生が担当している日本語部は、平均年齢が70歳以上とか。

 夕食後7時半から9時半ぐらいまで役員会に出席。疲れていたのですが、それなりに興味深い時間でした。とても眠くなり、青梅キリスト教会の執事会や役員会で、日本語がまだ自由でないホール先生が眠気と戦う、あの状態に実感をもって同情しました。
 夜は、風が吹いていたり(一日中そうですが)<犬が吠えたリ、飛行機の騒音などで、眠れるかとパリが心配くれましたが、ぐっすり休めました。 
 ただ飛行機の冷房のためでしょうが、喉がおかしく咳が出るのですが、影山先生方がヴィックスを買ってきてくれました。

  今日(水)は、午前中少し整理や手紙、午後の集会で責任を果たす準備。午後、リッチとパリと三人でどこかに行く予定です。水曜日の午後は、子供たちが交互にリッジと遊ぶ時間にし、子供が何をするか、どこへ行くか希望を出すようにしていることです。
 夜は祈祷会で話します。エペソ六章から神の御計画と祈りについて話す予定です。

 さて、そちらの家庭講座の様子いかがでしたか。三十名前後の人々が出席したと思いますが・留守中ご苦労様です。
 忍望君・・・朝庭を掃いていますか。いつもより少し早く起きてがんばって下さい。算数、ピアノも。そしてお母さんの手伝いを、元気に毎日遊びながら。
 太郎君・・・とにかくお母さんの言うことを、よく聞くように。

 では、今日は、これまで。
            在主 武夫
  君代様」