宗教改革500周年 エキュメニカルな視点からの評価と課題                             名古屋キリスト教協議会議長 松 浦  剛 その2

宗教改革500周年
エキュメニカルな視点からの評価と課題
               
            名古屋キリスト教協議会議長 松 浦  剛 その2

Ⅲ.わたしの宗教改革500年

 2016年12月17日(土)のことでした。その日、あと何日で2017年になるのかを数えてみました。すると、15日経てば2017年になることがわかりました。半月後には、宗教改革500年の記念の年に突入すると知り、「いよいよだな」と思ったことでした。しばし黙想した上で、次のようなことを紙に書きました。
1.わたしは1977年から何もないところから名古屋教会の開拓をしてきた、一介の牧師です。しかも、72才の年寄りとなっています。
2.それ故に、今さら宗教改革のこと、ルターのことを学んだりはしません。
3.とはいいましても、ルターの書き残したものを読んで楽しみ、改革者ルターに寄り添い、恵みのしたたりは受けることはできます。
4.頑張らず、励まず、さりげなく、2017年の365日間は、「ルター著作集第Ⅱ集」他を素読いたします。
5.その結果、疲れようと、元気をもらおうと、こだわりません。
6.2018年を迎えたならルターを忘れます。
 このような具合に自分のための「わたしの宗教改革500年」の態度姿勢の設定をすることができました。善は急げ、ということで、2016年12月17日(土)から「ルターを楽しみ、ルターに寄り添うプロジェクト」をスタートさせました。どんな本を読むのか、どのような順番で味わっていくのか、音読か黙読か、自由自在に進むこととしました。その足跡を以下にしる記します。
1.2016年12月17日(土)〜2017年2月7日(火)
 「ヨハネ福音書第1、2章説教」(ルター著作集第Ⅱ集6巻)「ヨハネ福音書第3、4章説教」(ルター著作集第Ⅱ集7巻)

2.2月8日(水)〜2月18日(土)
「ヘブル人への手紙講解」(ルター著作集第Ⅱ集10巻)

3.2月19日(日)〜4月10日(月)
「山上の説教」(ルター著作集第Ⅱ集5巻)

4.4月11日(火)
詩篇序文」(ルター著作集第Ⅱ集第4巻)

5.4月12日(水)〜4月18日(火)
「七つの悔改めの詩篇」(ルター著作集第Ⅱ集4巻)

6.4月19日(水)〜20日(土)「キリスト者の自由」(ルター著作集第Ⅰ集2巻)

7.4月21日(金)
イザヤ書序文」(ルター著作集第Ⅱ集4巻)

8.4月22日(土)〜5月5日(金)
イザヤ書9章講解」(ルター著作集第Ⅱ集4巻)

9.5月6日(土)〜5月19日(金)
イザヤ書53章講解」(ルター著作集第Ⅱ集4巻)

10.5月20日(土)〜7月9日(日)
「第2回詩篇講義」(ルター著作集第Ⅱ集3巻)

11.7月10日(月)〜8月30日(水)
「ガラテヤ書大講解・上」(ルター著作集第Ⅱ集11巻)

12.8月31日(土)〜現在
「ガラテヤ書大講解・下」(ルター著作集第Ⅱ集12巻)
 このように、宗教改革500年のことを覚えながら、すでに307日間にわたって改革者ルターの書き残した書物を読んでまいりました。かえりみて疲れなかった、ということであります。さすがは年の功ということでしょうか、疲れ気味になるなら、1日に読むページを減らし、元気がのよいときは40分ほど読みました。ルターのことば、ルターが伝えている聖書のことばと共に毎日を過ごしているということを実感することとなりました。ルターが1513〜1515年にヴィッテンベルグ大学において詩篇講義をしなければ、神の義の再発見をすることもなかったでしょうし、「塔の体験」と呼ばれている魂の回心もなかったことでしょう。宗教改革500年の年にルターの著作を読むことで、プロテスタント教会誕生の出発点とか原点といわれる部分を確認することができています。軽く読み流すだけですがルターの著作の中からプロテスタント教会の3大原理である「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司=すなわち全信徒祭司性」をダイレクトに読み取ることができました。プロテスタントのひとりとして宗教改革の重みを感じ、改めてプロテスタント誕生を評価することができました。

Ⅳ.宗教改革500年の課題

 日本ルーテル教会東海地区(斎藤幸二教区長)から声をかけていただいて、2016年クリスマスごろから名古屋キリスト教協議会と金城学院大学が共催とか協賛して、「宗教改革500年記念大会」(2017年11月3日、金城学院ランドルフ講堂にて)が開かれることになりました。その企画を、いろいろ話し合っているときに、この記念大会にご来賓としてカトリック名古屋司教区司教松浦悟郎先生に出席していただき、ご挨拶をしていただく件が持ち上がりました。
 カトリック教会は1962年〜1965年に第2バチカン公会議を開催されて以来、「開かれた教会」になることを公言し、プロテスタント教会に対して「離れていった兄弟たち」と呼ぶことを決めておられます。そのことから、いちるの望みをもって、思い切って松浦悟郎司教にご出席とご来賓挨拶を要請いたしました。すると、快く了承してくださり、とても嬉しく思ったことでした。夢ではないのかという思いがいたしました。宗教改革500年記念大会では、ルーテル神学校の石居基夫校長から「信仰義認とは何か」という講演を聞きます。わたしはその大会の主催者の1人として名古屋キリスト教協議会議長の立場で企画の責任の一端を担う者です。宗教改革500年を迎えている今、エキュメニカルな視野を広げて、さまざまのことを判断していくことが必要だと思うようになりました。
 そうこうしているうちに、8月19日(土)にはカトリック名古屋司教区松浦悟郎司教からお電話をいただきました。その日は日曜日礼拝の備えの日でしたので、何事か特別の事件でも起こったのだろうかと驚きました。心を静めて松浦悟郎司教のお話を承りました。すると、10月19日(木)午前中に、布池カトリック教会地下ホールにおいて、名古屋司教区の神父たち30名の神父会が開かれるので、宗教改革500年に関する講演をしていただけないかとのことでした。お断りする理由がなく、その電話で即そのご奉仕をお引き受けいたしました。
 求められている課題の中に「エキュメニカルな視点から」という文言が入っていました。宗教改革500年をエキュメニカルな視点から理解し、カトリック教会の方々と対話するわけです。これはなかなか難しいことですから、どのような手掛かりで課題を掘り下げるべきか、考えさせられました。カトリック教会のことはほとんど知りませんが、奥村一郎という著述家の本には魅力を覚えていました。そのようなことで、8月31日(木)に聖パウロ書院へいきました。その日のうちに「奥村一郎選集」(オリエンス宗教研究所、2006年)1〜9巻を19440円で、マルコ・パッパラルド編(太田綾子訳)「教皇フランシスコのことば365」(女子パウロ会、2016年)を1296円で、合計20735円の買い物をいたしました。
 これらの本は次のように読んでまいりました。
1.「教皇フランシスコのことば365」は、8月31日(木)から毎日その日のページを読み始め、10月19日(木)まで、50日間にわたって教皇フランシスコのことばを味わってきました。

2.「奥村一郎選集」は次のように読みました。3巻「日本の神学を求めて」9月1日(金)〜9日(土)。1巻「慈悲と隣人愛」9月9日(土)〜15日(金)。2巻「多文化に生きる宗教」9月16日(土)〜18日(月)。4巻「日本語とキリスト教」9月19日(火)〜21日(木)。5巻「現代人と宗教」9月21日(木)〜22日(金)。6巻「永遠のいのち」9月23日(土)〜24日(日)。7巻「カルメルの霊性」9月25日(月)〜27日(水)。8巻「神に向かう祈り」9月27日(水)〜29日(金)。9巻「奉献の道」9月29日(金)〜30日(土)。
 「奥村一郎選集」は、第3巻を9日間で読みました。さらに第1巻は7日間で読みました。ところが、その内容に興味や関心が出てまいりまして、第2巻、第4巻〜第9巻の7巻分については、各巻を2日か3日で読了するというようにスピードアップしてゆきました。わたしがプロテスタントの牧師として、学びがいがあると感じたのは「日本語とキリスト教」(4巻)、「カルメルの霊性」(7巻)、「奉献の道」(9巻)の3冊でした。キリスト教のメッセージが日本語表現でどう伝えられていくのかを掘り下げた第4巻、カルメル会という著者奥村一郎先生が所属しておられる修道会が受け継いでいる霊性をいかんなく説いている第7巻、カトリック神父とかシスターたちが一生涯を神様にささげて奉献を全うしてゆく喜びと使命の大きさを強調している第9巻は、まことにインパクトのある書物という他ございませんでした。
 それから、プロテスタント側の人間として教皇フランシスコ様のお立ち場とか信仰というものがよく分からなかったのですが、「教皇フランシスコのことば365」の文庫本を50日間分日課として読み続けてまいりました。気付いてみると、教皇フランシスコ様がプロテスタント教会の牧師であるわたしにも親しく語り掛けてくださっているように思えてまいりました。
 たとえば、8月31日のページには、「わたしは、いつもアッシジのフランシスコが言っていたことばを引用します。キリストは福音を『ことばでも』告げるために、わたしたちを派遣された。フランシスコの実際のことばはこうです。『いつも福音を告げなさい。必要な場合は、ことばでも。』どういう意味でしょうか? ほんものの生き方を貫くことで、福音を告げること。」と記されています。ここで伝えられているアッシジのフランシスコの勧めのことばはカトリック信徒であろうとプロテスタント信徒であろうと、共通してクリスチャンが学び、身に着けなければならない信仰姿勢ではないかと思ったことでした。
 また、10月9日のページには、「皆さんの歩みは、この歴史のなかにあります。境界がどんどん広がり、バリアがどんどん外され、わたしたちの歩みが他者の歩みにどんどん近づき、関係し合うようになっているこの世界のなかです。信仰がもたらす深い光、深い意義の、皆さんは証人であってください。過去から受け継いだ価値と知恵の豊かさを護り続けると同時に、現在を深く生き、『今日』のうちに身を投じて努力し、未来に目を向け、自らの業によって希望の地平を開拓し、社会をより人間らしい姿にするために。」と書かれていました。クリスチャンが世の人々の境界を除き去り、カトリックプロテスタントとオーソドックス・チャーチとがバリアを取り去って対話することを勧めておられるように思えてなりません。
 わたしは、聖パウロ書院で1冊の小さな文庫本を買い求めて毎日読むことで、教皇フランシスコ様の語り掛けを聞く日々を50日間過ごしてまいりました。これは宗教改革500年の年を記念して、それにふさわしい企画を推進する中で生じた恵みであって、何か摂理的な光がさしてきているように判断いたしております。