榊原康夫先生に学ぶ実践 その1

榊原康夫先生に学ぶ実践 その1

★今、私は、3つの点に意を注いでいます。
1.この訳語や訳文は、絶対に認めてはならないものがあるかどうか。あるとすれば何か。
2.この訳語や訳文は、他のものに比較して絶対に優れており、ぜひ紹介し提示すべきものがあるかどうか。あるとすれば何か。
3.1はそれぞれ大変な労力を払って営われている聖書翻訳においてはごく限られていると推察されます。また、2も他の訳語や訳文を押しのけて絶対的に提示する必要があるというのも、案外限られているのではないかと予測されます。つまり、大部分の場合はあれでもよい、これでもよい。どちらがより良いか、絶対的ではなく相対的な課題である。
この3点を互いに了解できるならば、1つの委員会訳を求め決定する道は、自ら開かれるのではないか。
この道を榊原先生は自覚し、実践していたのではないかと、今考えるのです。

聖書の切れ味 その1
今この時、そして最後まで
「いつまでも、終わりまでも」
     (詩篇119:112、新改訳)
「とこしえに」
     (詩篇119:112、新共同訳)
「とこしえに、ことごとく」
     (詩篇119:112、フランシスコ会訳)

聖書の切れ味 その2
神の涙
「私の目は涙を流そう」
      (エレミヤ13:17、新改訳)
「わたしの目は涙を流す」
      (エレミヤ13:17、新共同訳)
「わたしの目は涙を流す」
      (エレミヤ13:17、フランシスコ会訳)
「我目いたく泣きて涙をながすべし」
      (エレミヤ13:17、文語訳)

「私の目は夜も昼も涙を流して」
(エレミヤ14:17、新改訳)
「わたしの目は夜も昼も涙を流し」
(エレミヤ14:17、新共同訳)
「わたしの目に涙が溢れ」
(エレミヤ14:17、フランシスコ会訳)
「わが目に夜も昼もたえず涙を流さん」
        (エレミヤ14:17、文語訳)

聖書の切れ味 その3
私に悟りを
「私に悟りを授けてください」
    (詩篇119:125、新改訳)
「あなたが分からせてくだされば」
    (詩篇119:125、新共同訳)
「わたしに悟りを与え」
    (詩篇119:125、フランシスコ会訳)

聖書の切れ味 その4
もう死んでいた
「もう死んでいた」
    (使徒の働き20:9、新改訳)
「もう死んでいた」
    (使徒言行録20:9、新共同訳)
「すでに死んでいた」
    (使徒言行録20:9、フランシスコ会訳)
「死んでいた」
    (使徒記20:9、前田訳)
「はや死にたり」
     (文語訳 使徒行傳20:9)

聖書の切れ味 その5
基盤は
「聖書に基づいて」
      (使徒の働き⒘:2、新改訳)
「聖書を引用して」
      (使徒言行録⒘:2 新共同訳)
「聖書に基づいて」
      (使徒言行録⒘:2 フランシスコ会訳)
「聖書によって」
      (使徒記⒘:2、前田訳)

聖書の切れ味 その6
みことばを聴き、語る
「絶えず、しきりに」
      (エレミヤ25:3、新改訳)
「倦むことなく」
      (エレミヤ25:3、新共同訳)
「何度となく」
(エレミヤ25:3、フランシスコ会訳)

聖書の切れ味 その7
信仰の礎
「必ず来る、遅れることはない」
          (ハバクク2:3、新改訳)
「必ず来る、遅れることはない」
          (ハバクク2:3、新共同訳)
「それは必ず来る。
それは遅れることはない」
          (ハバクク2:3、フランシスコ会訳)

聖書の切れ味 その8
すべての基盤
「初めに、神が」
       (創世記1章1節、新改訳)
「初めに、神は」
       (創世記1章1節、新共同訳)
「初めに、神は」
       (創世記1章1節、フランシスコ会訳)

聖書の切れ味 その9
御手の中に
「私の時は、御手の中に」
         (詩篇31:15、新改訳)
「わたしにふさわしいときに、御手をもって」
         (詩篇31:16、新共同訳)
「わたしの生涯は、あなたの手のうちに」
         (詩篇31:16、フランシスコ会訳)

聖書の切れ味 その10
恵みのニュース
「神の恵みの福音」
      (使徒20:24、新改訳)
「神の恵みの福音」
      (使徒言行録20:24、新共同訳)
「神の恵みの福音」
      (使徒20:24、フランシスコ会訳)