恵みと使命は時から時へ、人から人へ

恵みと使命は時から時へ、人から人へ 

1958年日本クリスチャンカレッジ1年生・18歳の秋に、『興文』誌に竹森満佐一先生が引用されたエミール・ブルンナーの文章、「聖書を真ん中に、片方に宗教改革者の書物、他方に無神論者の書物を置き読み進める」を読み、これだと心に響きました。
 次週、カレッジがあった浜田山から吉祥寺教会の聖書研究会に出席、どこの馬の骨もわからない私に、「どこから」と正面に向き合ってくださったのです。「独立教会からです」、「札幌から・・・」、「いや、松山です」。アッセンブリー教団から離れ松山で開拓伝道を始めた万代恒雄先生は、当時は「独立教会」との呼称を使ったのです。
 それから卒業まで3年半、吉祥寺教会の聖書研究会に。4年生の1年間は、月に1度主日礼拝に。
 その間何回か、竹森先生が金沢で宣教する若き日の加藤常昭ご夫妻について話された際の愛のゆるみ顔を忘れられません。
 しかし加藤先生に直接お会いしたのは、2002年の日本福音主義神学会第11回全国研究会議「福音主義神学における牧会」(同名の報告書、2003年、いのちんことば社)においてです。
 同書の「あとがき」において、牧田吉和先生が的確に報告なさっているように、一部の反対を乗り越えて、加藤先生が、研究会議の各セッションの発題をなさり、同時に福音主義神学会からもそれぞれ発題謝を立て応答の講演をなす対話の手法がとられたのです。
 私は、Ⅲセッション「牧会と説教ー愛の業としての説教」を担当。牧田先生は、「宮村講演における聖書神学と牧会的実践に裏打ちされた『愛の業としての説教』の提唱」と紹介してくださっています。
 1958年以来の竹森先生との関係で、優れた兄弟子に稽古をつけてもらう弟弟子一途さ、同時に、沖縄聖書神学校校長として沖縄に支えられる喜び。一寸の虫にも5分の魂です。
 この時が契機となり今日まで加藤先生との文通は継続深められています。
 こうした背景の中から、加藤先生が説教原稿をクリスチャントゥデイに掲載してくださっています、感謝。