「芦屋浜通信第150号」 藤原信之

『芦屋浜通信第150号』藤原信之
 
☆藤原兄は、1958年4月から1年、日本クリスチャンカレッジの寮の同室者、土建業藤原組の次男坊、めっぽう気が強い。

《愛は忍耐強い》  
 「愛する」ということは生まれつきそなえ持っている能力ではなく学び習得すべきものである。人は語学やピアノを習得する努力はするが、愛することを学ぶために努力しないのはなぜだろう。
 「愛は忍耐強い」の「忍耐強い」の(マクロテゥメオ) は、「怒らないで気長くがまんする」という意味で、愛は「気長」を基調としている。
 
 わたしはこの夏、娘と新潟県長岡市を訪ねた。摂田屋町や宮内町を散策したとき、カレー専門店や喫茶店に入ると、水を持ってきてくれたあとは注文するまで放置してくれて、客を急がせないで、のんびりとさせてくれる。
そのゆったりとした、人間味あるなんとも言えない雰囲気が忘れられない。人も町もそうなのだ。
 在来線の宮内駅に行くと電車は出たばかり。一時間待ち。在来線も上越新幹線も一時間に一本。駅構内も駅員さんもすべてがゆったりしている。
 長岡市でのこれらの体験以来、バスや電車の10分や20分待ちは平気になり、ゆったりとした気分で待てるようになった。
 
 心理学で学んだことだが、ネズミを限られたスペースの中で数を増やしていくと、ある数以上になると互いに噛み合うようになるそうだ。
「都会の人よりも田舎の人の方が暖かい」と言われるのと関連があるかもしれない。戸外で強盗などに襲われたとき、目撃者が多いほど、被害者の助かる確率は低くなる。「私が助けなくても誰かほかの人が」と皆が考え、「責任の分散」が起こるからだ。
「今の世の中、自分のことばかり考えて他人のことに無関心な人が多い。」

 ちなみに人口密度(1k㎡)
東京都6,100人 横浜市8,433人 大阪市11,960人   
長岡市317人  神戸市6,200人 芦屋市5,039人
 長岡市のゆったりした雰囲気は、人口が少ないからだろうか?
住むなら人口の少ない所にしたい。

 父なる神様とイエス・キリストの愛の忍耐強さには壮絶な面がある。
 それを教えられたのは、娘が小学校2年生の時、足に火傷を負い入院したとき。当時の治療法では水泡化した皮膚をはがさなくてはならない。激痛を伴う。隣部屋の大の大人でも悲鳴をあげていた。処置日には親が付つきそうようにと医師の指示。娘は私を希望し、当日、医師がいいですかと。
 私は娘に「何かしてほしいことは」ときくと「両手を握っていてほしい」。
ベッドサイドでは両手は握りにくいので、ベッドにあがり、両手を握った。
治療が始まると、固く握った両手をブルブル震わせ、閉じた瞼のくぼみに涙がたまり、「イエスさまの十字架のときはもっと苦しかったのよね!」と震える声でくいしばるように、「そうだよ!」と言いながら、代わってやれるものなら、とどれだけ思ったことか。

 十字架上で「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給いし。」 と叫ばれたイエスさま。
それをじっと耐えておられた父なる神様。ご心痛いかばかりであったことか。想像を絶するとはこのことでしょう。それも死に値しない罪人のために。

 小学校2年生の娘にイエス様の十字架のことを教えてくださっていた日本基督教団姫路教会の教会学校の先生方に感謝しています。
第一コリント13:4
エーリッヒ・フロム
朝日新聞91/8/16 一高校生
マタイ27:46