ペンテコステ礼拝の翌日に、『御霊の実を結ぶ、日々みことばに生かされる生活』

ペンテコステ礼拝の翌日に、
『御霊の実を結ぶ、日々みことばに生かされる生活』
ガラテヤ5章22−26節
2006年8月20日1−3時
              沖縄、石嶺バプテスト教会学び会


[1]序
(1)年間主題、「実を結ぶ教会へー日々みことばに生かされて―」
 主題聖句、「わたしはぶどうの木で、あなた方h枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたはなにもすることができません。」

(2)今回の学びの目的
 御霊の実を結ぶことを念頭に置き、神の霊感によって聖書が書かれたとき、どのような方法を神は実際にとられたかに注意。
 キリスト信仰にとっては、事実を事実とする事実判断が大切。
 御霊の美しい実であるみことばに日々聴従しながら、キリスト者・教会が御霊の実を結ぶ生活・生涯を送るために、主なる神が弱い私たちに備えてくださった、恵みの手段を大切に。

[2]聖霊の最も美しい実である聖書
(1)「聖書はすべて、神の霊感によるもの」(Ⅱテモテ3章16節)。
 創造者なる神を中心に、聖書をはじめ万物を見る、聖書の人間観、世界観。
 その基盤、「初めに、神が天と地を創造した」。

(2)聖書を全能なる神はどのように、、一度に、すべてではなく。
 「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られたが」(ヘブル1章1節)。
 御霊ご自身は、聖書を一度に、すべて書かれたのではない。それに対して私たちは、ともすれば、一度にすべてをなそうとする傾向があるのではないか、これが問題。

(3)神は、時、時間、歴史を、ご自身の御ての用に、豊かに用いなさる。
 「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリスト系図」(マタイ1章1節)。
 主イエスと私たちの間は、約2000年。しかしアブラハムダビデの間、ダビデと主イエスの間も、約1000年。
「私の時は、御手の中にあります」(詩篇31篇15節)。

[3]日々、みことばに生かされる生活・生涯
(1)みことば
   ことば、聖書において、創世記1章3節
   「こと」と「ことば」、日本語においても本来。

(2)生かされる
   生きると同時に生かされている。生かされている、それで生きることができる。詩篇139篇13−16節、3篇5節

(3)日々
 ①異なる種類のカレンダーそれぞれの恵み→祈りのノートの勧め
  1年を1枚のカレンダー
  月ごと、週ごと、日めくりなど
 ②人生を三倍に、正しく、深く、豊かに
  祈り、実際生活、感謝
 ヨハネ10章10節、私たちの生活・生涯は、主にあって「ゆたか」。

[4]結び
「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです](Ⅱペテロ3章8節)。
1日の豊かさと千年の一貫性。豊かで一貫した生活・生涯。