キリ神の授業で出会った同病の友とのやり取り

キリ神の授業で出会った同病の友とのやり取り

 1969年、TCCで授業を始めた時、私は埼玉の寄居から八高線で国立へ、、そう、ローカル線で。
 私の授業は、ローカル線。ゆっくり、休んだり、まった進んだり。
 新幹線に乗りたい方は、TCCでなく、神学舎でも、キリ神にでもどうぞ。
 ローカル線からは、窓の外の草一本一本見える、いや見なくちゃいけないの心意気でした。
 あ、そうだ、先生とは、キリ神の授業での出会いでしたね。
 私のキリ神での存在理由は、語学が苦手でも、それでもそれなりに聖書を読める実証。またウエスミンスンスターでも、キリ神の卒業生でなくとも、組織神学的思考は出来るとの実証。
 
 後年、那覇バプテスト教会の一老姉妹は、そうウツの私が脳梗塞を発症、3個月の入院から、国吉先生の言葉で言えば復活の実証のように、礼拝の生活を再開した時、「先生、病気して良かったね」と。