キリスト開成ー沢崎堅造の場合ー

キリスト開成ー沢崎堅造の場合ー

「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々へ行き、人々に言った。『来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか』」。
(ヨハネ4:28,29)


  上野は谷中、お墓の間の吉枝隆邦宅で、母校開成高校のために祈るペン剣祈祷会を何年も続けて来ました。

 今、吉枝先生は、清瀬市の病院で療養なさっております。それで、ペンケン祈禱会を吉枝宅で開くことがでず、江戸川区小岩の拙宅でもっています、4月17日(月)に開くペンケン祈禱会小岩です。しかしそれだけでなく、小さな祈りの波紋の広がりがあります。4月20日(木)には、クリスチャントゥデイの事務所で午後7時から、若い世代が職場から駆け付ける、ペンケン祈禱会神田を開きます。

 吉枝君や私にとって、「来て、見てください」と呼ばわった生活の場サマリヤは、開成であり、同窓生でした。60年後の今も、そうなのです。
吉枝君の谷中への帰宅を願いながら、私たち二人の恵みの営み、さらに私たちの先輩の一人・沢崎堅造の場合を通して、キリストと開成の関係を報告したいのです。

 1987年、沖縄へ前年4月に移住して最初の新年、吉枝君に以下の手紙を書き、当時長期コラムを担当していた、クリスチャン新聞のコラム「季節の窓」に以下のように掲載しました。
 1924(大正13年)卒の沢崎堅造先輩の存在は、吉枝君と私の主にある交わりを固くする絆の役割を果たしてくれます。

季節の窓―新年に未来を展望して前進
宮村 武夫(新約教団・首里福音教会牧師)

○高校生宣教の友人へ

Y兄。新しい年一九八七年も、高校生への宣教に更に専念なさる貴兄。ご家族とお働きの上に豊かな祝福がありますように。

私たちの主にある交わり、高校生時代から許されていることを感謝するとともに、Y兄があの時以来実に一貫して、高校生への宣教に専念している姿に改めて心よりの敬意を表します。
 貴兄から頂き大切な宝の一つになっています、沢崎賢造著『キリスト教経済思想史研究―ルーテル、カルヴァン、聖トマス、アウグスチヌス研究―』(未来社)の扉には、「二六年の主にある交わりを感謝して、一九八二・一・十八」とあり署名がなされています。

ですから、あれはもう三十年以上前になるわけです。キリスト信仰に導かれて日も浅いころ、自分の学ぶ学校で証しをと願い、T・L・オズボーン先生の神愈伝道の映画伝道の映画上映許可を学校当局から受け学内に張ったポスター。それを見たキリスト者の貴兄が、学内で聖書研究会があることを伝え、協力して着実な証しをするように忠告してくれたのでした。
 あの時以来の主にある交わりです。あの頃既に貴兄には、高校生への宣教の志が与えられていたことを思うのです。その志を、一九八七年も果たし続けて行く。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、ことを行わせてくださるのです」(ピリピ2章13節)と、使徒パウロが宣言している通りです。この新しい年、貴兄や同じく高校生への宣教に専念する貴伝道協会の働き人を通していく人の高校生に福音が伝えられ、いく人の方々がキリスト信仰に導かれることでしょうか。それらの方々の三十年後を思い見ざるを得ません。

高校卒業を待ち切れなく、卒業式の数カ月前から開拓伝道の手伝いに飛び出していた私が、貴兄に一年遅れて、同じクリスチャン・カレッジに入学したのも、やはり貴兄の影響を抜きに考えられません。
 その母校で、今年も聖書解釈学のクラスを担当予定です。クラスの中では聖書解釈の歴史をかなり時間をかけて学びます。日本における聖書解釈の歴史を考える際、高校の先輩沢崎賢造先生を紹介するのは、ひそかな喜びなのです。貴兄からの贈り物である、あの本を手にしながら。
  一九四二年大陸伝道の志をもって熱河に向かい、更に一九四三年には蒙古伝道の志をもって前進、一九四五年八月殉教を伝えられている沢崎先生。先生の生き方と聖書の読み方を通して、人は生きているようにしか聖書を解釈出来ないし、聖書を解釈しているようにしか生きることが出来ないことを教えられます。この事実を伝えるべき責任を痛感します。

新しい年も、高校生伝道に専念する貴伝道協会と各地域教会が更に有機的に協力し、互いに委ねられている責任を全う出来るよう願います。各地域社会の高校生への宣教活動が基本的にも、実際的にも貴兄方から助けを受け、展開されて行きますように。また貴伝道協会の働きが地域教会の支援を受け、独自の使命が果たされて行きますように。

今年は、タイの宣教地から牧野兄も帰られるとのこと。道潅山で学んだキリスト者が、また貴兄の呼び掛けで共に集まることが出来るように。高校時代の恵みを思い起こし感謝しながら、各自の現在の使命について分かち合い、更に高校生への宣教のため祈る時が持てれば幸いです。
 江戸の名残を色濃く残す、あの懐かしい谷中に貴兄家族が住み続け、高校生への宣教に専念し続けていること、東に西に、北や南に散らされて歩む者たちにとって大切な意味を持ちます。

今までの歩み綺麗事ばかりではありませんし、今年もそれぞれ困難に直面することでしょう。その現実の中で、三十年来の恵みです。主の哀れみです。  毎週土曜日午後、一人の高校生と聖書を学んでいます。分をわきまえ、分を果たしたいのです。Y兄。新しい年、主を待ち望み、一人一人の高校生を通して未来を展望しつつ、前進。谷中でも首里でも