平良修修先生が、以下の寄稿をクリスチャントゥデイに

平良修修先生が、以下の寄稿をクリスチャントゥデイ

2016年7月22日(金)9時半から11時半、沖縄の佐喜眞美術館において、石川福音教会(重本清牧師)主催による教会創立50周年記念集会「ウチナーとヤマト――その溝に立ち――」が開かれた。パネラー3氏・佐喜眞道夫美術館長、平良修牧師、宮村武夫牧師による発題と鼎談、フロアーとの対話がその内容であった。3氏の紹介は次のようになされた。

佐喜眞道夫氏:佐喜眞美術館の館長で、個人的に普天間基地の土地を返還してもらい美術館を建てられた方。22歳まで熊本、その後は沖縄。
平良修牧師:沖縄で最もラディカル(ソフト)に「反戦・平和」の道を推し進めてこられたウチナーンチュ牧師。キリ学の学長時代には、入学試験に落ちた方に励ましの手紙を。
宮村武夫牧師:沖縄で26年間牧会。沖縄で聖書を読むだけでなく「聖書を読む」歩みを深められたヤマトンチュー牧師。

2番目の発題者として私は最初に自分自身がいかに日本(ヤマト)に同化して行ったかという体験を語った。かつては琉球(非日本)であった自分らが、完全に日本に同化された結果、琉球(沖縄)の自分と日本(ヤマト)の間には強い一体感が打ちこまれてあったということを、色々な体験を通して語った。つまり自分と日本(ヤマト)の間には溝がなかたことを語ったのである。私の発言計画では、それは1部の内容であった。続いて2部として、私と日本(ヤマト)との間に生じている溝について語り、3部としてその溝をどのように受けとめ、生き、将来に繋ごうとしているかを語るはずであった。しかし、私の悪い癖で、1部の「同化」に時間をかけ過ぎ、2部にほとんど踏み込めないまま時間切れになってしまった。3部が流れたことは言うまでもない。集会後、親しい出席者の1人から厳しい苦情を突きつけられた。私は返す言葉がなかった。主催者、他のパネラー、そして来会者にははなはだ申し訳ないことであったと恐縮した次第である。
集会後、重本牧師は「感謝と報告」を出され、その中で私の発表については以下のコメントをしておられる。「平良修牧師は、「薩摩の支配以来、現在に至るまでもヤマト側に『処分し続けている』との自覚があるのか、沖縄側に『処分され続けている』との自覚があるのか」との「溝」についての問いかけが中心にあったと記憶しています。」と。
 それによると、私は自己反省している割には「溝」について語ったことになっている。しかし仮にそのように聞いていただいたとしても、私の反省としてはそれは全く不十分極まる、むしろ叱責を受けて当然の貧弱な内容でしかなかった、ということである。それが嘘偽りのない私の自己採点である。従って「クリスチャントゥデイ」からの依頼を受けたことを期に改めて、沖縄と日本(ヤマト)の間に抜き難く堆積している「溝」について、書かせていただくことにした。幸い、私があるところで講演したときのレジメが私の言いたかった事柄を示しているので、そのレジメをそっくり提供することにした。それによって、あの場での私の足らなかった重要な部分を語らせて頂き、そして読み取っていただければ幸いである。

講演レジメ「命どぅ宝、沖縄の祈り、沖縄のたたかい」
平良 修

1.日本人が日本(日本人)を知る一つの大切な切り口としての沖縄。
  沖縄という鏡に映る日本(人)の姿は?

2.“あなたは自分のことを日本人だと思いますか?”
  この奇妙な質問が可能な場所・・沖縄。琉球大学・林泉忠准教授の調査結果(2007年)。
  沖縄人 42%  日本人26%  沖縄人で日本人30%

3.何故そういう結果になるのか。“私にとって沖縄の心とは日本人になりたくてなり切れない心”(西銘順治・元沖縄県知事)。

4.その理由(1)
 ①日本国内唯一の大洋に囲まれた亜熱帯によってつくられ、定着し、DNA化した民族性。
 ②500年(琉球王国時代)から先史時代を加えればおよそ1000年にかけて培われた独特の歴史、文化、言語。

5.その理由(2)
  琉球処分(1879)に端を発した日本国内植民地扱い。それに対する沖縄の日本国(ヤマト)への違和感、不信感、反撥。

 原琉球処分(第一次琉球処分)1879 廃琉置県(廃国置県)「処分」とは何か?
  第二次琉球処分 1945 皇室と「本土」防衛のための時間かせぎ捨石戦であった沖縄戦
  第三次琉球処分 1952〜1972 日本「本土」独立の担保として米軍統治下におきざりにされ、切り捨てられた沖縄。「天皇メッセージ」(1947)
  第四次琉球処分 1972 沖縄の意志を無視した日本国への施政権返還(再併合)。
   沖縄の要求と日本政府方針の大落差。
    沖縄・・・明白な反戦平和の理念に立つ平和憲法下への「復帰」。
    日本政府・・日米安保体制の要である沖縄米軍基地の維持管理。
    「復帰闘争碑」に刻印された沖縄の無念。
  第五次琉球処分
  琉球処分の継続。日米安保体制によって「構造的差別」状況にはめ込まれている沖縄。

 6.第五次琉球処分の現実(現在の沖縄)
  (1)なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのか。日本全国の米軍専用基地面積
   ①沖縄74% ②青森7.7% ③神奈川5.9% ④東京4.3% ⑤山口2.6%
   米軍にとって沖縄戦の戦利品としての沖縄。ソ連との冷戦に備える米軍基地の必要。ヤマトの米海兵隊の沖縄への移駐。沖縄の犠牲の上で成り立った憲法9条。 
 (2)日本全国を「100人の村」に例えたらヤマトの米軍基地負担はどうなるか。
 (3)“普天間の代替基地は沖縄県外に”と訴え失脚した鳩山由紀夫元首相。日米安保条約を必要と認めながらも沖縄の米軍基地の分担を引き受けようとしないヤマト。「悪いものは沖縄に!」。
 (4)“抑止力という点では米軍基地は沖縄でなくてもいい。しかし政治的には沖縄がいい”(森本敏民主党政権防衛大臣。日本政府の本音、日本政府の対沖縄政治の本質)。
 (5)「4・28主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に抗議した県民大会(15,000人)に示された沖縄の民意。
    全県挙げての日本政府への「建白書」は単なる「陳情書」ではない。救い難いこの意識の差!
 (6)米軍基地によって沖縄経済は潤っているという誤解。米軍基地は生産しない。年間県民総所得のわずか5%。沖縄経済発展の最大の阻害要因。返還米軍用地再利用による経済効果の大きさは比較を絶する。
 (7)その意志に反して、攻撃基地の側に立たされ、加害者にさせられている沖縄の痛み。沖縄は被害者であることも加害者であることも拒否する。
 (8)「男はつらいよ」の主人公「寅さん」の沖縄体験。「沖縄ノート」に刻まれた大江健三郎氏の苦悩。
(9)琉球米国民政府は第5代高等弁務官アンガー中将の就任式における私の祈り(1966)。“神よ、願わくは世界に一日も早く平和が築き上げられ、新高等弁務官が最後の高等弁務官になり、沖縄が本来の正常な状態に回復させられますように、切に祈ります。〜”
    「沖縄の本来の正常な状態」とはどういう状態か。日本国沖縄県が回復された状態。
 (10)沖縄道州制懇話会による提案――沖縄を特例型単独州へ(2009)。
 (11)「琉球民族独立総合研究学会」の発足(2013.5.15)。「琉球処分」の根本的解決の道。先住民としての沖縄の自決権の行使。
 (12)沖縄米軍基地をヤマトが引き取るとは、どういうことか。
 (13)辺野古闘争について
   ・翁長雄志沖縄県知事語録“ウチナーンチュ ウシェーテーナイビランドー”

    “沖縄県民の魂の飢餓感”。
   ・辺野古闘争参加のヤマトンチュへ。
    辺野古は一つの発火点に過ぎない。火山脈としての日米安保の破棄国民運動を展開できますか。
    「沖縄は本土のためにある」との意識的・無意識的沖縄観の打破、出来ますか。
    
7.沖縄の祈り
  「太平洋の軍事的要石」から「万国津梁」へ。