「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その10 細田浩兄の合 細田浩『出会いものがたり』④

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その10 細田浩兄の合 細田浩『出会いものがたり』④

四 加藤常昭・竹森満佐一諸先生との出会い
(一)私は、いつの頃か定かではないが、鎌倉雪ノ下教会牧師加藤常昭先生の講解説教集を購入し、マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書ヨハネ福音書を何年もかかって読むようになった。加藤先生の説教集を読み始めて、初めて聖書の御言葉の内容の豊かさ、賛美歌やキリスト教の彫刻や絵画への案内(特にレンブラントなど)、ドイツのキリスト教会のことなど、今まで知り得なかったキリストによる福音の広がりと歴史の深さを知るようになっていった。その講解説教の中で、度々登場する人物が吉祥寺教会竹森満佐一牧師のことであった。驚いたことに、加藤牧師も、東大哲学科に入学された頃、信仰的にダウンして教会を離れてしまった期間があったのだという。その際、学生であった加藤氏の信仰再生をさせたのが竹森牧師で、加藤氏は吉祥寺教会の会衆席最前列に座って、全身が耳と化して聴いたという。説教を聴く喜びを回復し、深化させ、説教についての確信が与えられたのだと言う(自伝的説教論一一三頁)。

(二)そこで、私も竹森先生の「ピリピ書講解説教」から読み始めることになった。ところが、竹森先生による主日説教は、「説教題」が付いていないのである。そして、説教集を読み始めると、すぐに気づくことであるが、竹森先生御自身の事は一切語られない。また、御言葉の理解を助けるための具体的事例をあげることも殆どないし、誰かの言葉を引用することが仮にあったとしても、「ある人が」と説明するだけで、実際には誰が言ったのか一切分らない(ただし、カルヴァンとルターが発言したときは、名前が特定されて引用してある)ということで、誠に、表面的に見る限り、不親切で素っ気無い説教なのである。ところが、加藤先生は、これが日本で最も代表的な講解説教で、若い人々にも是非読んでほしいと勧めるのである。私は、一回読んだだけでは、とても歯が立たないから、一回の説教を三〜四日かけて何回も繰り返し読み直す。大事なところは、定規で破線を引いてみるなどして、瞑想して読むことを続けた。そのような、非常にゆっくりではあるけれども、何回も繰り返して読んでいくと、実は非常に分りやすい説教であること、そうして、読者である自分自身が無意識のうちに感じている筈の疑問点を意識上に顕在化させ、それを御言葉をもって的確に回答する説教を繰り返していることに気付いてきた。信仰者は、「ひたすら信じることが大事なことなのだ」と強調される余り、自分自身の心の奥底から浮き上がろうとする素朴な疑問すら、無理矢理押し殺してしまう誤った傾向があるのではないか。だから、御言葉に対する信頼が弱く、中途半端な信仰にとどまってしまう。竹森さんの説教は、ハイデルベルク信仰問答のような素朴な質問と、それに対する答えを、順序正しく繰り返しながら、本質に迫る説教ではないかと思った。そして、ピリピ書に続いてエペソ書、コリントⅠ、コリントⅡへと何年もかかり毎日読み続けてきた。ただし、竹森さんは既に天に召されて相当時間がたち、説教集も少なく、私たちと教派も異なる日本基督教団の牧師である。日本福音キリスト教会連合内では、私一人だけしか読んでいないのではないかと案じ、しかし、「それでもいいや」と思いながら、朝のデボーションテキストとして、読んでいた。

(三)ところがである。宮村先生の著作Ⅰ・三一八頁に戻ってみると、「たとえば、竹森満佐一先生から、一九八六年以降に頂いた一〇通の葉書と一通の封書。もう先生へお送りすることはできず、私の手元に残っているのです。」と書いてあるではないか。どうして、宮村先生は、竹森先生を知っておられたのであろうか、そのことを、とても知りたく思った。二〇〇九年(平成二一年)一〇月二〇日の夜、宮村先生から自宅に突然電話が掛かってきて、申命記が著作集として発刊される際、私にそのメッセージについて執筆するよう依頼があった。その際に、私は、右の疑問について尋ねてみた。すると、宮村先生は、浜田山に神学校があり、その神学生であった頃、祈祷会のあった水曜日は、竹森先生のメッセージを聞くため、井の頭線に乗って、わざわざ日基の吉祥寺教会まで通っていたのだという。それ以来竹森先生と宮村先生とは、長い交わりが続いていた。神様は、不思議な方法をもって、宮村先生と私が、長い年月と教派を超え、同じ竹森先生を通して、神様の御言葉を聞かせていただいていたことを明らかにして下さった。宮村先生も、本当に驚いた様子で、電話の中で主の不思議な恵みを祈っていただいた。私は、その祈りの声を忘れることができない。    
               (昭和町キリスト教会 会員)