「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その3「加藤常昭先生と対話、昨日、今日」

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その3「加藤常昭先生と対話、昨日、今日」


竹森先生が、弥栄子姉の子供への話をご指導なさっていたとの、夫である森先生の言葉は、私にとって深い慰めです。
 森ご夫妻を、吉祥寺教会の竹森先生に紹介したのには、私の10代の終わりに始まる恵みの前史があります。
 後年、以下のメール「加藤常昭先生と対話、昨日、今日」を友人に書きました

「加藤常昭先生と対話、昨日、今日」

昨日、加藤常昭先生からお便り、「主の甦りの祝いを前に 独り春を迎え 2015年四月初めに」と題する一文、そして昨年8月23日に召された、さゆり奥様のポートレートを受け取りました。昨日、今日、加藤常昭先生と対話を続けています。

説教塾に深く関わっておられる私の二人の教え子、沖縄の平良善郎牧師と安中の三浦陽子牧師の存在が、加藤先生と私の交わりを深めてくれているのは、小さくない恵みです。

 しかし、なんと言っても竹森満佐一先生が加藤先生と私を固く結びつけています。
私が加藤先生のお名前を初めて聞いたのは、竹森先生からでした。

竹森先生が、『興文』(現『本のひろば』)に、ブルンナ−先生のことばを引用してお書きになった一文を読み、心動かされ吉祥寺教会を訪問(1958年秋、日本クリスチャン・カレッジ1年生の時)。
その時以来日本クリスチャン・カレッジを卒業するまで3年半、毎週の聖書研究会・祈祷会で、竹森先生の聖書の読みに触れたのです。
その間目撃した、竹森先生が金沢で牧会なされていた、若き日の加藤ご夫妻について話される時の喜びがにじみ出てくる感の、あの竹森先生の独特の顔を忘れることが出来ません。

 加藤常昭先生に私が直接お会いしたのは、2000年代に入ってから、日本福音主義神学会の研修会における加藤先生の総合的な講演に対して、「愛の業としての説教」と題して応答した際でした(『日本福音主義神学における牧会』、いのちのことば社、2003年)。
 応答を語りだす時、1958年来のことごとを覚え、いささか声の詰まる思いがしたことを覚えています。
「よいお働きに励んでおられることに感銘を受けております」との、今回の加藤先生の便りの一言は深い励ましです、感謝。