ヘブル人の手紙11章の味読・身読 その5


ヘブル人の手紙11章の味読・身読 その5

ヘブル11章20節 イサクに学ぶ
[1]序
 ヘブル11章20〜22節において、アブラハムの子孫三人、イサク、ヤコブ、ヨセフについて、彼らの信仰を記録しています。アブラハムの信仰については、8〜19節までかなり詳しく描いています。それに比較して、三人の子孫については、それぞれわずか一節ずつ全部で三節だけでまとめています。
確認すべきは、創世記の記録に見るように、イサク、ヤコブ、ヨセフそれぞれ特徴のある興味深い生涯をおくった人々である事実です。
 たとえばイサクについては、創世記25章19節から26章33節などを中心に記録されています。イサクはどちらかと言えば地味な人です。しかし彼は、まさに信仰の人でした。創世記25章20節によると、イサクがリベカと結婚したとき、彼は40歳でした。そして不妊の妻リベカのために、彼は20年にわたって祈り続けたのです。創世記25章26節によれば、エソウトヤコブが生まれたとき、イサクは60歳に達していたとあります。一事のため、20年近くイサクは祈り続けたのです。比較的目立たない人物とは言え、イサクはこのような生き方をした人でした。

[2]アブラハムからイサクへ
 創世記27章。1節、「イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき」。27章4節、「私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために」とのことばから、イサク自身死を予期していたことが明らかです。
また彼の家族も彼の死を覚悟していたようです(41節など)。しかしそのときにも、イサクは一人孤独に死に直面していたのではなかったのです。父アブラハムが主なる神から受けた祝福の約束に全面的に信頼を置き、その約束の完成、つまり、「未来のことについて」待ち望み、希望に満ちていました。そうです。父アブラハムに与えられた神の約束を、自分自身に対する約束としてしっかり受け止めていたのです。土地と子孫についての神の祝福の約束を子供に伝えて行くのです。神の祝福の継承です。神の祝福を受け継ぐ人々の歴史の中で、イサクは自分なりに場所を与えられています。地味なイサクを通して、偉大なアブラハムへの約束は、際立つヤコブへと受け継がれて行くのです。
 ではどのようにして、イサクは神の祝福に生きる立場を自覚するようになったのでしょうか。
 まず第一に、イサクは父アブラハムから神の約束を聞いたのです。創世記22章6〜8節参照。アブラハムとイサクは、ここに見るように、共に歩み、共に生きたのです。彼らが共に住んだ天幕は最高の教会です。神の祝福の約束がしっかりと教えられ受け継がれたのです。

[3]イサク自身に 
 第二に、イサク自身神からの祝福の約束を直接受けたのです。創世記26章から二つの場面。第一の場面は、1節から5節まで。
 当時の社会で飢饉(ききん)がどれほど深刻な打撃を人々の生活におよぼしたかた、私たちの想像以上です。特に在留異国人として生活していたイサクたちにとって、飢饉(ききん)の打撃は他の一般の人々に対するものとは比較にならないほど激しかったに違いありません。飢饉はイサクの家族を直撃したのです。逃れの道は、家族をあげて少しでも食糧事情の良い地方へ移住することです。切羽詰まったときに、主なる神はイサクに直接祝福の約束を与えられたのです。創世記26章2〜5節。
 第二の場面は、創世記26章12節以下の出来事との関係で、24節で述べられています。自分たちの間に住む外国人のイサクが裕福になったとき、ペリシテ人はイサクを妬んだのです。そしてイサクたちを自分たちの地域から追い出してしまうのです。そればかりではありません。イサクの一行が身を退けて新しい土地に移り住み、井戸を掘って生活の基盤を築こうとすると、その井戸をふさいでしまう。しかもそれも再三繰り返すのです。羊を飼う遊牧民にとって、井戸をふさがれてしまうことは、生き死の問題です。自然の圧迫である飢饉が恐ろしかったばかりでなかったのです。祝福の成就がきっかけになって、残忍な人間の圧迫のもとに苦しみ抜く経験をした後、主なる神からの祝福の約束をイサクは再び受けるのです。

[4]結び
 父アブラハムの天幕という教会においてイサクは神の約束を聞き学んだだけではありません。飢饉という自然の猛威のもとで、神から直接祝福の約束を受けたのです。また外国人として残忍な仕打ちを受け続けた後も、イサクは約束のことばに堅く立つのです。こうした、イサクの生涯を思い巡らしながら、創世記26章25節のことばを味わいたいのです。これこそ、世俗のただ中で、主なる神にある家庭、教会が建てられていく様です。イサクも彼なりの天幕を建てる必要があったのです。飢饉や人々の圧迫という現実の生活を通して、主なる神から直接祝福の約束を聞き、その約束に立ち者として祭壇を築き祈るのです。このとき初めて自分なりの天幕を張ることができます。平凡に見えるイサクも死の陰の谷を歩むのです。その中で、神の祝福の約束を直接聞いたのです。