ヘブル人の手紙11章の味読・身読 その3

ヘブル人の手紙11章の味読・身読 その3

ヘブル11章7節 『ノアに学ぶ』[1]序
 ヘブル11章7節のノアについての記事をその前のアベルとエノクの記事と比較すると、創世記の記述の長さとヘブルのそれが逆になっている事実を見ます。
 つまり、アベルとエノクについて、ヘブルでは4節と5節において描き、続いて二人についての記述の結論として6節があります。
 ところが創世記では6章から9章と4章を費やされて描くノアの記事が、ヘブルではただ7節一節にまとめられています。
 この7節を味わう手掛かりは、ヘブル人への手紙の最初の受信人たちがよく知っていた創世記に見るノアの記事の流れに注意することです。
 
 創世記に見るノアの記事の流れは、三つの点を中心としています。
 まず6章1節には、人が地上に増え始めた事実が記されています。これは、「生めよ、ふえよ、地を満たせ」(創世記1章28節)に見る、主なる神の祝福のことばに基づく恵みの実現です。
 ところが6章2ー5節には、祝福に応えて増えて来た人々が悪に傾く様を見ます。アダムの反逆以来人間の中で悪も増大しているのです。
 6章6節以下9章までは、一言で言えば罪のさばきの記事です。この罪のさばきの中でも神の救いが示されています。
 このように6章から9章のノアの記事では、神の祝福の成就と生活の隅々にまで及ぶ罪の事実を示し、その罪はそのまま放置されずさばかれる。まさにさばきの中に神の救いも進展行きます。

[2]ノアの信仰
 4章に渡る大きな流れを一節にまとめているヘブル11章7節にも、三つの中心点を見ます。
①ノアは神のみことば通りに信じた。
②心の中だけでなく、ノアはみことばが現実となる日のため具体的に備えた。
③ノアは一人ではなく、自分と家族で神のみことばに答えて行った。

[2]ノアの信仰に基づく歩み
(1)みことばに基づく信仰。
 神のさばきとしての洪水の警告、これは当時の人々にとっては、今までの経験のデータを集めて推測することができる事態ではなく、全く未経験なことでした。ノアにとって拠り所があるとすれば、語り給う神への信頼のみです。人のことばや著書は助けになっても、ノア自身が神を信じる代わりにはならないのです。みことばを語り給う生ける神を信じるかどうかノアにかかっています。そうです。ノアは神のことばを信じたのです。

(2)ノアは神のことばを信じ、箱舟を造る日々の生活を継続
 内陸地に住んで巨大な箱舟を造る作業に取り組む。日常生活の中で、この一つの目的に向かいノアは進みます。24時間は、この目的に従う歩みにより整えられて行きます。
 表面的には他の人々と変わらず、朝になれば起き、昼は働き、夜になれば寝る。その中で箱舟を造る作業は進展して、信仰が生きて働いていす。現実の中で落ち着いた歩み。この一切を導くのは、神のことばです。神のことばが実際になって行くのです。
 このノアの姿を理解する助けの一つは、建築現場と設計図の関係を参考にすることです。箱舟を造れとの神のことばをノアは身をもって歴史の中で現実に現して行くのです。着実に綿密に寸分違わずに。
 周囲の人々には不可解な歩みです。しかし、それは綿密な計画に従う歩みです。箱舟を造っている現場は足の踏みばもない混乱が支配しているかに見えるときがあります。しかし、そこに展開している営みは、隅々まで神経の行き届いた設計に基づくものです。少し注意して観察すれば、現場にもその事実を示すしるしに気付くことができます。
 ノアの信仰と彼の働きは、決して対立するものではなく、箱舟を造り続ける平凡な日々の歩みこそノアの信仰の歩みなのす。

[3]家族と共に
 しかもノアは一人で働いたのではないのです。家族でともに祈り、家族全体で箱舟を造る作業を続けたに違いありません。ノアが神のことばを信じ生活を続けるとき、ノアの家庭ではお互いの間でことばをもって信頼することのできる場となっていたのです。お互いの間でことばが信じられないとき、家庭の崩壊は進みます。ですからノアの箱舟の建設は、家庭の崩壊との戦いでもあったとも言えます。

[4]結び
 神のことばを信じ、それに従い日々の生活を進めるノアと彼の家庭。そこに、神の祝福を見ます。また罪とさばきの中で、なおも現実となる神の救いの恵みを見ます。
 神のご真実を信じ、家庭の中で祈りが日々ささげられ、互いのことばが信頼されて行く。このような家庭こそ現代のノアの箱舟として用いられて行くのです。平凡に見える日々の仕事の継続の中に、信仰の歩みが積み重ねられて行きます。ノアの場合も、私たちの場合も。

「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました」(ヘブル⒒章7節)。