藤原信之兄発行、『芦屋浜通信』第141 2016年3月

藤原信之兄発行、『芦屋浜通信』第141 2016年3月

1958年4月、日本クリスチャン・カレッジに入学。授業と共に寮生活が、大きな意味を持っていました。私たちは4名部屋で、3年生の藤原兄、2年生の堀切兄、そして1年生の太田兄と私。
 藤原兄とは、今日まで主にある交わりを継続、深化しています。今回から、ハガキ版で発行の、『芦屋浜通信』を紹介さて頂くことにしました。

《すべての人を一つにする「寛容」を》 見よ、兄弟が和合して共におるのは、
 いかに麗しく楽しいことであろう。詩篇133・1 
 キング牧師が夢見たのは、まさに右の詩篇に謳われている光景ではなかっただろうか。
 「わたしには夢がある。それは、いつの日かジョージア州の赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷の主人の子が、ともに兄弟愛のテーブルに着くことができることである。」(コレット・キング『キング牧師の言葉』梶原寿訳、日本基督教団、113頁)

 オバマ大統領誕生はキング牧師も大喜びしたと思うが、今のトランプ氏の難民、移民への排他的な発言に、キング牧師の夢が遠のく思いがする。
 聖書では旧約の時代から、寄留の他国民に対して、寛容に、愛し共に生きるようにと教えている。
 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい(レビ19:33)

 しかし、これに反してキリスト教には不寛容の歴史がある。十字軍(1099〜1299年)という神の名によるエルサレムでのイスラム教徒殺戮はその一つだ。ある神殿では7万人以上が殺され、他の神殿での大虐殺は「血の池の中を膝までつかりながら歩く」と描写。彼らは俳優の如く別人に変身する。何れが真物か問う必要はない。彼らは巡礼者であり、同時に戦士、敬虔な信徒、虐殺者なのである(『十字軍』橋口倫介、岩波書店、105頁)。
イスラム支配下エルサレムでは、キリスト教徒の礼拝の自由が許されていたというのに。
 同時期ヨーロッパでは、異端審問によるキリスト教徒がキリスト教徒を処刑する不寛容の歴史もある。驚くべきその一例は、「カール王治世下のネーデルラントのわずか一州、わずか一治世の間に処刑されたキリスト教徒は、ローマ帝国三百年間、しかもローマ帝国全領土にわたる殉教者をはるかに上回る。」(E.ギボン『ローマ帝国衰亡史』中野好夫訳、筑摩書房、Ⅱ347頁)

 ヴォールテールは、異端審問による処刑の狂暴さと愚かしさの数々の実例をあげて「不寛容のうちには脱常識が宿っている」と述べている(ヴォールテール『寛容論』中川信訳、中央公論新社、128頁)。
 不寛容の例は今日の日本にもある。未受洗者も聖餐に与れると考える牧師の資格を剥奪し、排除しようとす教る例である。
 イエスは、ご自分を裏切ると解っているユダでさえ追い出すことはなさらなかったし(⑥ヨハネ13:21〜)、ましてや
 父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 :わたしにはほかの羊もいる。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる(同6:37) 。
:すべての人を一つにしてください。と。
 誰がキリストに属するかは、招き、集め給う主が知り給う。教会は、教会という組織や、教義や、礼典や、敬虔な心によって一致するのではない。良い羊飼いの声のうちに一致するのである。:この羊飼いの声だけを聞くならばキリスト教会の分裂は終わる(同10:16、同17:21)。 
 キリストの教会は、キリストによって招かれた罪人の集まり(D.ボンヘッファー『1日1章』村椿嘉信訳、新教出版社、204頁)。キリストに愛され赦された者同士、なぜ寛容になり、和合できないのか。
 愛は寛容であり、すべてを忍び、すべてを耐える(1コリント13:4)。
 宗教寛容は、ピューリタン的信教の自由の要求の中から出てきたもので、異質のものに耐えるという含蓄をもっており、そのような仕方で「他者」を容認することである(大木英夫『新しい共同体の倫理学㊦』文館、46頁)。