「発信・受信ー主にあるに恵みの一つ一つ」その16

「発信・受信ー主にあるに恵みの一つ一つ」その16

年末、年始山口希生先生から、メールを重ねて頂き、添付の興味深い文章と共に、旧約聖書ユダヤ教新約聖書の関係について従来考えてきたことに加え再考する機会が与えられ感謝でした。

★山口→宮村
「宮村先生
メールをありがとうございます。昨日は私も母教会での今年最後の礼拝でした。
先生の一年間のお働きに感謝です。

さて、水曜と金曜は神学校に行っておりますが、3月には休みがありますのでその時にお目に書かれれば幸いです。

ユダヤ教キリスト教の区分というのは全く同感です。聖餐と過越祭の区別は大切ですし、キリスト教バプテスマユダヤ教の改宗のための水浴とは違います。聖餐もバプテスマも、どちらもキリスト者がキリストの出来事、特にキリストの死と復活に参与するという重要な意味があり、ユダヤ教にはない新しさがあります。
ただ、私が気にしているのは、それでも聖餐式のルーツは過越祭であり、出エジプトの解放の出来事であるのであって、エジプトやローマの密儀宗教の儀式ではないことです。ドイツの学者たちはユダヤ教との連続性を嫌うあまり、こういう点すら否定して、キリスト教のルーツを他に求めようとしてきました。日本の主流の学者の方たちにもこういう傾向がみられるような気がしております。

では、良い新年をお迎えください。
在主
山口 希生」

山口→宮村
「宮村先生
あけましておめでとうございます。本当に暖かい日が続きますね。スコットランドと比べると、夏が来たと言っても言い過ぎではないほどです。
本年もどうぞよろしくお願いします。

先日先生から頂いたアドバイスや、他の数名の方からのご意見を受けて「新約聖書と神の民」の紹介文を書き終えました。
ある先生がブログに載せて下さるそうです。

では、お会いできる日を楽しみにしております。
山口希生」

★宮村→山口
「山口先生
頌主
主にあっての新しい年、山口先生の歩みの上に祝福が豊かにありますように。新年のご挨拶が遅くなりました。

年末にメールを受け取り喜んでおりながら、返答を直ぐにするのを怠っておりました。年始に山口希生先生からメールを重ねて頂き、添付の興味深い文章を背読ませた頂きながら、旧約聖書ユダヤ教新約聖書の関係について従来考えてきたことに加え再考する機会が与えられ感謝でした。
 メールの主題を思い巡らしているうちに日にちが経過してしまいました。
とにかくお礼のメールをしなければと、遅ればせながら感謝のメールをしているところです。
 2月いっぱいは、沖縄訪問・宣教の予定です。その報告をも含めて、3月にお会いできること、とても楽しみです。
 その前に、私なりに書いてきたものを、山口先生にお送りして、3月のお会いする際の対話がより充実したものとなればと愚考します。
 よろしければ、miyamura@send.jpに住所をお知らせくだされば、うれしいです。
 忍耐と希望(ローマ8:25)
 宮村武夫・君代」