「この唯一の確かなもの」ーボンヘファーからの慰めー

「この唯一の確かなもの」ーボンヘファーからの慰めー

 2009年12月18日に脳梗塞を発症、2010年4月㏡までの入院生活は、20代前半の4年かの留学生活に、勝とも劣らない大切な短期集中留学で、私たち二人は、その時を起点に、ビフォー、アフターと呼慣らしたほどです。

 4月2日の退院を前に、沖縄滞在25年間何回も繰り返し用いた、ボンヘファー1日1章『主のよき力に守られて』に掲載の一節から深い励ましを受けました。
 今、それなりの苦悩と喜びを、日々経験する中で、言葉がやはり、「この唯一の確かなもの」であり、神の言葉を待ち望むのです。

 「・・・そしてほかでもない神が、私をこのように弱く、かつ小さく造ったので、それゆえに、神は私に『言葉』という私の目標のための、ただひとつの確かなしるしを与えてくれたのである。
 この唯一の確かなものを、神は私から取り去ることはないであろう。神の言葉を、神は私に与え続けてくれるであろう。そしてこの神の言葉において、私が神の力を感じ取ることができるようにしてくれるであろう。
 真の故郷から来た言葉が私のところにある時、私はこの地上で私の歩むべき道を見いだし、
 不正の中に正しさを、
 不確かさの中に拠り所を見いだすことになるであろう。
そして労働するには、大きな力を、
   苦しみが襲う時には、忍耐する力を見いだすことになろう」
                (『詩篇119篇による黙想』)