2015年9月18日(金)③ニューイングランドの神学校で、9月から説教学の学びを始めたU先生への便り

2015年9月18日(金)③ニューイングランドの神学校で、9月から説教学の学びを始めたU先生への便り

Uご夫妻

頌主
 メール感謝します。
U先生が説教学を専攻、ゴードン・コンウェル神学校で学びを始められているのは、とても興味深いです。そのような説教学に対する明確な意識を持って、ゴードン・コンウェル神学校へ留学された日本人留学生を私は知りません。私にとって、とても興味深く、大いに期待します。

説教学という意識はありませんでした。しかし自分が説教のため召されていると自覚して、私は生涯歩んで来ました。

1958年秋、日本クリスチャンカレッジの1年生のとき、2人の婦人宣教師の祈りと愛の支援を受けながら、埼玉県寄居の開拓教会で講解説教を開始しました。
それ以来、全ての学びは説教者としての整えのためと理解してきました。
また、その後神学教育の場などで語ってきたこと、さまざまな機会や方法で執筆してきた全ては、教会の講壇から宣べ伝えた説教を基盤とする説教者のそれと深く自覚しています。

そして説教者とは、神の恵みの事実・できごと
詩篇119篇64節「【主】よ。地はあなたの恵みに満ちています。あなたのおきてを私に教えてください」)
をことばとして記録する聖書に見る事実を、今、この生かされいる場での恵みの事実として宣言する役割を担う者です。
ですから、説教者は、徹頭徹尾事実に根差し、ことばに生きる者です。
事実から離れて生きられず、ことばなしには存在できないと心に刻んで来ました。
そうした歩みおなしつつ、書いてきたものを集めたのが、著作集の文章です。

全く思いを越えたことでした。
75歳まで説教者として、「事実とことば」に基づき生かされてきた全ては、「この時のためである」(エステル4;14)と受け止めるようになった、クリスチャントゥデイ編集長の役を引き受けることになったのです。
編集長として日々歩む営みは、出来事・事実に根差し、ことばとして記述する。さらに記述したことばが、新たなる出来事となるよう期待する、事実とことばに基づくものです。

そうです、クリスチャントゥデイの報道と論説は、その多様な展開を貫いて、「事実とことば」の一点に統一性を持ちます。現代日本にいて、万物・万事聖書をメガネに認識し、発信しようとしているのです。

ですから、この営みが、聖書に見る恵みの事実を、明確なことばで伝え、聴く人々の心、生活と生涯において新たなる出来事となることを目指す、現代日本におけ説教と生きた関わりを持ち続けるよう期待しているのです。

U先生、先生がそちらで学びながら、このメールのやり取りをとおして、
こちらで苦悩と喜びを持ってカタツムリの歩みをなす私を教えてください。
そのことが、先生のそちらでの学びにもプラスになればうれしいです。

ご家族の上に、先生の学びの上に、日々祝福が豊かにありますように。

忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代