2015年8月29日(土)③杉原千畝さんについての記事を読んで

2015年8月29日(土)③杉原千畝さんについての記事を読んで

杉原千畝という稀有な人物のまさに特別な歴史的背景における、ことばの正しい意味での英雄的出来事を伝えているのは確かです。とにかく、あのような歴史的な状況の中で、「外務省に背いて、領事の権限でビザを出」す、そうしなければ「私は神に背く」ことになると考え、言明し、実行したのですから。
 しかし杉原千畝さんについての記事は、特定な人の特別な出来事を伝えるだけではありません。
平凡な当たり前の生活の場で生かされている私たちに、マタイ6章24節「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」と、主キリストが語られるように、神か富か、いずれに仕えるのかと問う普遍的な意味を持ちます。
 一寸の虫にも五分の魂です。そろばん勘定だけでは動かない、キリストにある自由への一寸の虫に対する呼び掛けです。
 さらにクリスチャントゥデイのように、キリスト教・・・と看板を掲げていることばを生業とする会社が、生ける神か損得や決めつけか、いずれに仕えるのかと問う絶えざる自己改革を促す呼び掛け、感謝。