40年以上前、神学校の授業で出会ったS牧師 インターネットでの対話の断章

40年以上前、神学校の授業で出会ったS牧師
インターネットでの対話の断章

S牧師→宮村
宮村武夫 先生  
先日は著作集5とお手紙をお送りくださり、ありがとうございました。
40年前に教室で聞いた先生の教えが、このように活字のかたちで目の前に現れることは、感慨無量のことです。
いろいろとご病気もなさったことも知りました。「キリストの苦しみにあずかる」体験と言うべきでしょうか。先生の多忙と精力的なお働きの跡が偲ばれました。
 私は改革派で働くつもりでおりましたが、神戸に一年学んだ後、東京神学大学大学院に入学・・・、誘われるままに日本基督教団で牧師になりました。
しかし35年間無事働きをしてこられたことを感謝しております。  
今またFacebookで交わりが与えられ、うれしく思っております。このようなかたちでの連絡で申し訳ありません。伸び伸びになってしまうといけませんので、とりあえず御礼まで申し上げます。

宮村→S牧師
嬉しい嬉しい連絡感謝です。
日本基督教団の教会で宣教・説教するのが、今の私の祈りの一つです。なかなか実現しないのですが。

S牧師→宮村
日本基督教団をうまく語ることは難しいですが、現象として言うと、赤字ローカル路線を沢山抱えた鉄道会社のようなものです。
神学的には斬新なことを言う人も少なくありませんが、箇々の教会は古い体質から抜け出すことができず、低迷しているところが多いと思います。
昔の光いまいずこ。角番の大関。私の教会もそうです。聖霊の新しい風が必要です。お祈りください。

宮村→S牧師
祈ります。数少なくない砂金を発見する道を私は提唱してきました。TCUの山口先生が実証してくれています。

S牧師→宮村
数少ない砂金!すばらしい発想です。たしかに教団の教会にもそういうものがあることを経験してきました。いかに発見し、どう活かすかでね。

よく読んだら、数少なくない砂金でした。ますます、すばらしい見方です。

宮村→S牧師
良くきずいてくださいました
私は、そのように本気で考えています。
ヘブル13:7の内容を、ヘブル人の著者があえて言及いや強調する必要が、当時の教会の状況にあったのでないか。
私の作業仮説です。そのような足元の歴史を軽視やまして無視して、どんなに13:7の内容を声高々と唱えてみても、それはグノーシスの空しさであって、受肉の福音ではない。
ヨハネ4:20,21.  これが砂金堀の営みが不可欠と、あくことなく犬の遠吠えを続ける心です。  
40年前の教室と同じです。ぶれないと言われたり、化石的存在と言われたりするのですが。40年の年月、少しも感じないですね、S先生。なんか心が熱くなってきます。