2015年5月21日(木)③  「私の生涯の闘いは、マルバツメンタリティーとの戦い」

2015年5月21日(木)③  「私の生涯の闘いは、マルバツメンタリティーとの戦い」
「クリスチャン・トウデイ」に参与し続ける宮村の洞察力には疑問を感じるとの言葉。
 宮村を信頼することや私の著作に対する信頼が、クリスチャン・トウデイも信頼するという連鎖を生じるとすれば、それは宮村に責任が帰されるべきであるとの言葉に対して、以下、私なりの言い分。

私の生涯の闘いは、マルバツメンタリティーとの戦いです、それも、かなり激しく、継続的な。
 母校開成高校では、聖書を通してキリスト信仰に歩み、十字架を恥としない道を歩むこと自体が、大学進学を優先とするマルバツメンタリティーの基準からは、問題外。
 しかし60年後の今も同期生と交わりは深く、なおもなおも深くです。今もあたらしい対話が開かれています。
 
 万代恒雄先生は、なんだらかんだらと非難。万代先生に対する一貫した交わりを保つ私に対して、ある時代のマルバツメンタリティーの攻撃は、今では、ちょっと想像できないほど。
 私なりに、親鸞法然に対する徹底的な信頼と態度と徹底的な自らの罪の意識にに教えられました。
 また足元の万代父子との取組なしに、ブルムハルト父子の理解は困難でないかの確信と提唱も、ドイツ丸、日本バツのメンタリティーとって、笑止千万。
 
 日本クリスチャン・カレッジ時代も、当時においては、アッセンブリー出身であること自体が、マルバツの対象。
 
 行くところなく進んだハーバートも、神学がリベラルだからと、一部の方々から、頭からマルバツメンタリティー的拒絶。

 帰国後も、日本の大学卒業資格なしの理由で、学びを継続できない状態に直面、他に進むところがない中で上智大学神学部ネメシェギ神学部部長が、「キリストにおいて愛する兄弟、宮村さん」と受け入れてくださり、徹底的な3年間の個人指導、プロテスタント丸、カトリックバツの思考停止のマルバツメンタリティーにとっては、責任を問わねばならないカトリックの回し者。

 なぜ沖縄に。後ろの橋を断ち、備えた神学校教育の働きの道が、思いもよらない方法で閉ざされ、他に行くところがなかったから。
 なぜクリスチャントゥデイに。一つの理由は、25年振りに戻るつもりで帰った関東での神学教育の働きの場がが閉じられたからから。

 自分の出来る範囲で資料を検証しても、クリスチャントゥデイ黒と決定的な判断は無理。その上、クリスチャントゥデイは灰色だと言う人があっても、これこのように黒だと決定的証拠を自分の存在と地位をかけて証言する人と一対一で相対する機会がなかったから。

 高校時代からの信仰の先輩に紹介されて、訪問して来たクリスチャントゥデイで働く青年と数か月会い続け、話し続けている間に、この人は私をだます人でないと確信。その後も、日々の生活のレベルを含め、1969年以来神学教育の場で出会った人々と同様、僕仲間(ヨハネ黙示録22:8,9)と実感。

 イズム・主義でなく、人間個人を掛け替えの無い存在として喜ぶ、この道が、主イエスから学んだマルバツメンタリティーと戦う武器。
 このイズムからあのイズムへと渡り歩き、決して人間と人間の出会いを喜ぼうとしない勢力に対して、聖書をメガネの静かな対決の道、感謝。