2015年4月10日(金)③安藤仲市先生から学んだ、三つのこと−聖書で安藤仲市を読む− その2

2015年4月10日(金)③安藤仲市先生から学んだ、三つのこと−聖書で安藤仲市を読む− その2

 最初に安藤先生の存在を強く意識したのは、日本クリスチャンカレッジの学生会主催による、こころのこもった成人式が終ってそれほど経たない頃と記憶しています。
 当時学生と学校側で、大学認可や授業の現状をめぐり理解・意見の違いありました。そのため集会が開かれ話し合いがなされたのです。
 学校側は、当然のことながら、いかに学校が良い学校であるか強調する成り行きになりました。
 まだ私は下級生であり、自分なりにレポート作成などを通して喜びを覚え、現状にそれほど不満を感じていませんせんでした。しかし集会の流れの中で黙っていることが出来ないで、「そんなに好い学校だとお考えなら、なぜ子女を入学させないのか」、そんな主旨の発言をしたのです。

 すべてを記憶しているのではないのです、しかし私たちの2学年下に、安藤ご夫妻の娘さん・満喜子姉が入学して来たの時の安藤先生に抱いた敬服の思いは、その後最後までかわりませんでした。

 何十年間後、やはりが学校と学生の合同の集いで、聡明で勇気のある女子学生が、移行期にある学校の教育方針は何かと率直に質問されたのです。
質問した方と質問の性質からでしょうか。会場が一瞬シンーと。
当時沖縄から通いクラスを担当していた私は、黙っておれず、「私のように生きることだ」と言葉足らずの発言をしたのです。

 今にして思えば、あの時、私の潜在意識の奥で安藤仲市先生が発言なさっておられたのではないか